熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

予習すべきか、しないべきか(ロズギル私的まとめと関連作品紹介)

舞台『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』初日おめでとうございます!!!!!
今年の3月にロンドンで観劇後「日本語で観た~い!」とダダをこねてた数ヶ月後、まさか本当に観られることになるとは思いませんでした…もうとっても嬉しいー!ありがとうー!

しかし多くの人が「で、これはどういう話なの?」と思っているのではないでしょうか。
正直私もタイトルは聞いたことがあったんですが、作者の人は誰?シェイクスピア…じゃない?という状態でした。折角海外まで観に行って内容がちんぷんかんぷんなのはあまりにも…悲しい…
と思った私は色々観たり読んだりしてお芝居に挑みました。初の全編英語劇。

結論から言うと

「英語だろうと日本語だろうと、予習した方が楽しめる!」

なぜならこのお芝居、知ってる前提の話があったり、とにかく台詞が多かったりするからです。

しかしそもそも『ロズギル』だけ読めばいいの?ハムレットがなんで出て来るの?と思ってる方も多いと思います。
というわけで、渡英した時に予習に使ったものや、私自身のまとめなどを自分の復習のため、そしてこれから観るけどあんまり知らないなあという方のために載せておきたいと思います。
ネタバレ全開なのでご注意。
(そもそもこのタイトル自体が、ハムレットのネタバレと言えばネタバレなのですが…)

 

 

 

予習編(復習にも応用可)

読む

まずは、何も言わずにこれを買ってください。

トム・ストッパード (3) ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ (ハヤカワ演劇文庫 42)

トム・ストッパード (3) ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ (ハヤカワ演劇文庫 42)

 

いや読まないよ!という人も、出来れば、出来れば、買って欲しい…

というのも、もう何年も前からロズギルは絶版になっており、古本で買うか図書館で借りるかという二択しかなかったのです。
それが今回の舞台の上映のお陰で新板として発売!ありがとう早川書房ハヤカワ演劇文庫様!
何より注目なのが、小川絵梨子さんの新訳。
そう、今回の舞台で演出をされる方の訳ということは、ほぼ台詞まんまであるということ!
言い回しが似ていると、頭に入りやすいと思います。おすすめの一冊です。

 

ロズギルだけでは心配な方は、『ハムレット』も読むと更に世界が深まると思います。
今作の『ロズギル』では描かれない話やキャラクターのことも分かります。特にオフィーリア周りはロズギルではあまりフォーカスされないので、ハムレットの方が断然分かりやすいです。

また、どこかで聞いたことのある台詞も沢山出てくるので、「あの作品で言ってたのはこれの引用だったのかー!」という発見もあったりします。

色んな方の翻訳が出ており、読み比べていないので何とも言えませんが、河合祥一郎さんの訳は数年前に野村萬斎さんがハムレットを演じた時の脚本として新たに訳されたものなので、一番新しいです。
また、先程紹介したロズギル本では解説も書かれています。

 

新訳 ハムレット (角川文庫)

新訳 ハムレット (角川文庫)

 

 

私が読んだのは福田恆存訳版だったような気がします。
こちらも読みやすかったと思いますが、人それぞれなので自分に合いそうなものを手にとってくださいませ。

ハムレット(新潮文庫)

ハムレット(新潮文庫)

 

 

岩波文庫版が脚注など解説が多くてオススメという話を聞いたので、こちらも載せておきます。

 

ハムレット (ワイド版岩波文庫)

ハムレット (ワイド版岩波文庫)

 

 

 

本当は漫画で読めるハムレット!とかきっとあると思うのですが、私が門外漢なものでそこら辺はまったく紹介出来ないのでした…すみません…もっと分かりやすい簡略版もきっと世の中には沢山ある筈です… 

 

観る

最初に謝っておきますが、こちらに関しては私自身があまり観れていない部分があるので紹介が非常に偏っています…ごめんなさい…


ロズギルって映画あるんでしょ?それ見ればオッケー!と思うかもしれません。確かに賛成なのですが、日本では現在DVDが絶版しており超高騰化。
TSUTAYAにはVHS版しか出ていないというかなり厳しい状況です*1

レンタル・販売 在庫検索 - TSUTAYA 店舗情報

 

ちょっと聞いてないんですけど!観たいよ!と思った貴方はどうか販売元のポニーキャニオン様に再販の希望出していただけると幸いです。
私も再販して欲しい…日本語字幕で改めて観せてほしい…ポニーキャニオン様、何卒!

 

ちなみに私はDVDを所持している友人がいたので、日本語字幕版を見せてもらいました。
面白かったしロズとギルがとにかくかわいいです。ゲイリー・オールドマン(ハリポタのシリウス・ブラック役)とティム・ロスの若かりし頃、最高…

 

ハムレットの映画化作品はいくつもあります。
有名なのはローレンス・オリヴィエ版とケネス・ブラナー版でしょうか。どちらも超名優の代表作です。

 こちらケネス・ブラナー版のハムレットです。戯曲の台詞を一切削らずに上演されたという凄まじい気合の入った一作!上映時間が4時間もの大作になっております。

ハムレット [Blu-ray]

ハムレット [Blu-ray]

 

 

ちょっと最初に観るのには詳しすぎるなあ、と思った方には、現在Netflixメル・ギブソンが主演のバージョンもあるので、そちらも良いかもしれません。
こちらは2時間14分なので見やすそう。デンマークの城ってイメージ沸かない…という方には、手っ取り早く作品の舞台の雰囲気などがつかめるかと思います。

 

また、お芝居を観るというのも一つの手段です。
ハムレット』なら最近では日本でも内野聖陽主演で上演されました。学生劇から大劇場まで、幅広く愛される題材です。探すと意外と近くで上演されていたりするかもしれません。

ちなみに今年3月のロンドンでは、『ロズギル』と『ハムレット』が同時期に上演されていたという夢のような場所になっていました。『ハムレット』を演じていたのはアンドリュー・スコット

 

また、たまに映画館で海外の舞台を字幕付きで上映する【ナショナル・シアター・ライブ】(通称NTL、NTLive等)という企画で『ハムレット』が上映されていることがあります。
これまでローリー・キニア主演と、ベネディクト・カンバーバッチ主演の二作品のハムレットの上映がありました。

また、ロズギルの作者トム・ストッパードが手がけた戯曲『ハード・プロブレム』も上映したことがあります。


海外の舞台を日本で観れるという貴重な企画ですので、もしお近くでやっていましたら是非観てみてください。

www.ntlive.jp

 

かなり時期が限られている企画ですが、たまにアンコール上映もやっています。
TwitterかFBの情報が早いかもしれません。

今年ロンドンで上演したロズギルも、来年のNTLで日本で上映してくれたらと願っています。(これも公式にお願いしたい案件です…笑)


以上、かなり偏ったロズギル・ハムレット関連の作品についての紹介です。
予習と書きましたが、すべて復習としても大いに活用できると思います。
観る前にも、観終わった後でも、どちらでもより世界が広がると思います。

 

あらすじ・まとめ編

以下は、私なりのまとめになっています。
この記事を書いている現在、私は生田斗真菅田将暉版小川絵梨子演出のロズギルは観ていません


『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』とは?

世界で一番有名な劇作家シェイクスピア作『ハムレット』のスピンオフ。
ハムレット』の登場人物でも出番の少ないキャラクター「ローゼンクランツ」と「ギルデンスターン」にスポットを当てた作品です。
作者はチェコ生まれのイギリス人トム・ストッパードで、舞台の初演は1966年です。なのでロズギルは、ハムレットが誕生してから約235年くらい後に作られたお話になります。
1990年にはトム・ストッパード本人により映画化もされています。
これまで何度も舞台が上演されている、トム・ストッパードの戯曲の中でも人気の作品です。

最近では、今年の2月からロンドンでダニエル・ラドクリフ(ハリー・ポッター)とジョシュ・マグワイアが主演でこの『ロズギル』が上映されました。(私はこれを観ています)
日本でも以前生瀬勝久さんと古田新太さんで上演されたらしいです。
また、ハムレットとロズギルの二本立てで、ハムレットが長谷川純さん主演で上映されたこともあるとのこと。この時はロズとギルは日替わりで入れ替えキャストだったとか*2
こんな試みもあったり面白そう。


ハムレット』あらすじと『ロズギル』の関わり

前述した通り、このロズギルは舞台『ハムレット』の話を、ロズとギルの二人の視点から見るとどうなるか、という話です。
ハムレットでは描かれていない部分が新たに創作されており、かなりの部分が創作のエピソードとなっていますが、辿る筋書きは同じです。
なのでまずは『ハムレット』のあらすじを知っておくと、この話がつかみやすくなると思います。
以下のあらすじというかあらましはWikipediaより細かく*3、そして最後まで書いています。
ロズギル的に書いておいた方がいいなーと思ったエピソードがWikiになかったので細かめです。
今更ですが、ハムレットデンマーク王子です。主人公がそのままタイトルになっています。


ハムレットの父である国王が突然亡くなってしてしまった事から話はスタートします。
国王の弟、ハムレットの叔父であるクローディアスが王座に就くのですが、その際にハムレットの母であるガートルードとクローディアスが結婚します。
突然父が死んだ上に、いきなり叔父が父になり、母親は何考えてるのか…と哀しみと混乱の中にいるハムレットの元に、友人ホレイショーから恐ろしい噂を聞きます。
父親、つまり前国王が夜な夜な城に化けて出ているらしい。
事実を確かめようとするハムレット。すると父の亡霊がハムレットの前に現れ

「自分はただ死んだのではない。弟(ハムレットの叔父、つまり現国王)に殺された」と言うのです。
ハムレットは真偽を確かめ、本当ならば叔父に復讐することを決意します。そのためにハムレットは「気が狂った」という“演技”をすることにします。

 

突然気が狂ったハムレットに、王も王妃も誰もが困惑します。
宰相*4であるポローニアスは、自分の娘であるオフィーリアとハムレットがいい仲であることから、オフィーリアへの恋心で狂ったのではないかと推測します。
そのためにオフィーリアを使って王と宰相はハムレットを探るのですが、気が狂った演技をしているハムレットは、オフィーリアにきつく当たります。
以前は優しくて賢いハムレットだったのに、今はわけの分からないことを叫び、自分が話している相手も誰だか分からないような口ぶりです。

おかしい、けれどどうしてかは分からない。

この狂気の原因を探すために、王はハムレットの学生時代の友人であった「ローゼンクランツ」と「ギルデンスターン」を呼び出します。
ハムレットに探りを入れるロズとギルですが、しかしハムレットはこの二人にも同じく冷たく当たります。

(ちなみにここ、学生時代の友人だったのでは…?と思うくらいの冷たい当たりっぷり。王様の差し金だろうと疑っているからなのですが、それでもホレイショーの方がよっぽど友人だぞ、と思います)

ロズギルから以前ハムレットも会った旅芸人が来ているから、気晴らしにお芝居でも楽しむといいと伝えられると、ハムレットは掌を返すように喜びます。
そして旅芸人の一座が来ると、ハムレットは座長に、前王を殺して王座についた男の話を、更に王クローディアスそっくりになるよう脚本を書き加えた上で演じるように頼みます。これを王の前で上演して反応を観ようという試みを企てます。

これを観た王は、真っ青になって舞台の途中で上演を止めてしまいます。
これこそ前王を殺したのが王クローディアスであるとハムレットは確信します。
その後、いい加減にしろとハムレットは母から叱られている最中、話を陰で聞いていた宰相ポローニアスを誤って殺してしまいます。

王子が殺人を犯したこと、そして自分の真実を知っていそうな気配に気づいたクローディアスは、ハムレットイングランドに追いやることにします。
そのお供につくのがロズギルなのですが、二人は王からイングランド王宛の手紙を託されます。
この手紙には「イングランドに着いたら、二人が連れてきた男(ハムレット)を殺すように」という命令が書かれていました。
しかし、ハムレットはこの事に気が付き、ロズギルの二人を出し抜いて、デンマークへ戻ります。

 

一方デンマークでは、国外に留学していた宰相ポローニアスの息子、レアティーズが戻って国王に怒っています。また、ポローニアスのもう一人の子供であり、レアティーズの妹でもあるオフィーリアは、度重なる哀しみに気が狂ってしまい、溺れ死んでしまいます。
そんな中帰国するハムレット。クローディアスは危機を感じます。現在のデンマークは、隣国のノルウェーとも戦の一歩手前のような状態になっており、そんな状態で危険なハムレットを野放しにしておくわけにはいきません。
そこでクローディアスは、レアティーズの怒りをハムレットに向けるように仕組みます。

レアティーズとハムレットは試合をすることになるのですが、そこでハムレットを殺そうと企みます。ハムレットの父にしたのと同じように、殺人には見えない殺し方で。
そして結局その試合の最中に、飲み物の毒や剣に塗られた毒で、王、王妃、レアティーズ、ハムレットが皆死んでしまいます。
ただ一人ハムレットの友人ホレイショーがこの悲劇の全貌を知っており、語り継ぐことをハムレットに誓います。
最後に死体だらけの玉座に現れ、ホレイショーと会話をするノルウェーの王子フォーティンブラスが「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と告げて、舞台は幕を下ろします。

 


すみません全然まとまらなかった!
出来れば本読んだり舞台観たりしてくださいごめんなさい!

私がピックアップしたかったのは、途中で出て来るこの旅芸人の一座です。
この座長が、ロズギルでは大事な役どころになります。
理由は観れば分かるのですが、運命にあたふたするロズとギルに対し、彼はここが舞台であるということを指し示す、狂言回しのような存在になっているからです。

 

ハムレットにおけるロズギルは学生時代の友人ではありますが、王の手先であり、途中で何にも描かれず、時折姿を見せては消え、そして最後はどうやら死んだらしい、ということしか分かりません。

その二人が自分の運命とはなんぞや?ということに気づかないまま、意味のない膨大な言葉遊びをしている内に死に向かっていくのが『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という作品です。

『ロズギル』ではコインの「表」と「裏」がしつこく登場しますが、これはロズギルがハムレットという作品の「裏」であったり、ロズとギルの二人の存在がコインのような表裏一体であったり、様々なことを指し示しています。

そういった「表」と「裏」、そして「ローゼンクランツ」と「ギルデンスターン」の存在を感じながら観ると、よりいっそう楽しめるかもしれません。

 


『ロズギル』は悲劇ではない

ハムレット』はシェイクスピア作品の中でも「四代悲劇*5」と言われる一作です。

しかしこのスピンオフである『ロズギル』は、悲劇というよりもブラックコメディという位置づけになっています。

だってめちゃくちゃ笑えるから。

ハムレット』では殆ど描かれていない二人が、話が進んでいる間に何をしているかは描かれています。
とにかく主演の二人は出ずっぱり、そして台詞の量が多いのが特徴です。
現時点で生田&菅田版のロズギルは観てないのでなんとも言えないのですが、この特徴は恐らく変わりません。

この二人の掛け合いがとにかく面白い。

ローゼンクランツとギルデンスターンは、『ハムレット』では王に名前を間違えられるシーンがあります。
『ロズギル』は更にそこからひねって、自分たちですらどっちがどっちなのか分からなくなってしまいます。
アイデンティティさえぼんやりとした二人の、意味のあるようなないような話が、混乱とおかしさを誘います。
観念や哲学など難しい話も多々出てきますが、それ以上に身体を動かし、言葉だけでなくても笑いを誘うシーンが多いです。

二人の運命は決まっているので、最後はどうしてもしんみりしてしまいますが、それでも翻弄されまくっている二人にどうにもおかしさがこみ上げてくる。観終わった頃には愚かな二人に対して憎めない愛しさが沸いてくると思います。

元々演じている俳優さんが好きな方は、余計に好きになってしまうと思います。私がそうだったので。

 

終わりに

舞台、特にシェイクスピア関連作は、この400年間の間に何度も上演され、またトム・ストッパードが描いたような派生作品も沢山生まれています。
一つ作品を観たら、もしかしたら「今度は違う人が演じているバージョンが観たい」と思うかもしれませんし「元ネタになっている作品の公演を観てみたい」となるかもしれません。また、「主演の俳優の他の演技が観たい!」や「この作品に出ていたあの役者さんの他の作品も観てみたい」と思うかもしれません。
そうなった時に、貴方の世界がもっと拡がりますように。
そしてこの記事が少しでも役に立てれば幸いです。

もしこの作品があなたに合わなかったとしても、他の作品やコンテンツで、貴方が楽しいと思えるものに巡り合えること祈っています。
観たいと思った方が、出来るだけ多く観れますように。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

とりあえずNTLジャパン様、去年ロンドンのOld Vicで上演したダニエル・ラドクリフ&・ジョシュ・マグワイア『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を来年あたり日本で上映してください!
絶対今回の生田斗真菅田将暉版と比較して観たいって人が増えるから!お願い!

   

www.siscompany.com

 

 

 

余談
 

 今回のタイトルは『ハムレット』の最も有名な台詞

To be, or not to be.
That is question.
(生きるべきか、死ぬべきか。
それが問題だ。)

からです。

 

それにしたって今回に限らず、舞台のチケットを高額転売している輩は
紛れもなくnot to beですし、
ローゼンクランツとギルデンスターンよりも辛くて苦しく、
最後には同じ運命に遭いますように。

 

 

 

*1:都内だと以前代官山か渋谷にあった気がしたのですが、今検索したら出てこなかったので各自確認お願いします。

*2:https://www.oricon.co.jp/news/87859/full/

*3:ハムレット - Wikipedia

*4:総理大臣みたいな役職

*5:ちなみに残り3作品は『ロミオとジュリエット』『リア王』『オセロー』です。オセローは今度の11月の三連休に東京芸術劇場で上演されますね!

映画『未来を花束にして』と投票日に思うこと

台風が秋雨前線によってパワーアップされ、全国で猛威を奮っている中、皆様お元気ですか。
中には海外から日本に帰れなさそうな方の話まで聞いてハラハラしている。
そんな本日は衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査投票日だ。
〆切が午後8時なので、実際あと30分ほどだ。
お住いの地域の天候にもよるけれど、まだ行ってないや、という方はまだ間に合いますので是非どうぞ。
自宅に届いた紙持ってないやって方でも身分証明証持ってたりすればなんとかなる。

まあなんだってそんな話、と思う方もいるだろうけれど、去年の参議院選挙でもブログを書いてたので久々に書こうと筆を取った。
しかし前回「期日前投票しておけばよかった」と書いてるのに相変わらず当日まで待ってしまっていた。
こんな天候になると分かっていたのに、何故俺はまた同じ過ちを……

(前回のブログ:「選挙」で思い浮かぶあれやこれや - 熱に羽化されて)

 

今、日本では18歳から男女ともに参政権が与えられる。
しかし、数年前までは選挙権は20歳からの権利だった。
そして、1945年までは男性しか許されない権利だった。

こんなこと、今まで考えたこともなかった。
二十歳になったら選挙は参加した方がいい。政治に関われる一番の権利の試行だから、とは考えていたので、選挙はすべて参加している。
でも改めて「毎回きちんと参加しよう。たかが一票だなんて思わないで、ちゃんと自分の意志を表明しよう」と思えたのは、今年の3月にジャック&ベティで観た、『未来を花束にして』という映画のお陰である。

 

映画『未来を花束にして』は、2015年イギリス公開作品だ。
日本では一年以上公開が遅れた上に、タイトルがあまりに映画の内容にそぐわないと炎上していたことで記憶している人もいるだろう。
この映画の原題は『Suffragette(サフラジェット)』。直訳すると婦人参政権論者という意味になる。
1910年代のイギリスが舞台で、当時女性には与えられていなかった選挙権を得ようと闘った女性たちのお話である。

日本版の予告を観てみると、ヒューマンドラマっぽい、ふんわりとした涙と感動が浮かび上がってくる印象になっている。
しかし実際に観てみると分かるのだけれど、この映画に描かれているのは、抑制されることに対しての怒り、対話の機会さえ与えられず無視され続けることへの不満、人間扱いされないことに対しての反乱だった。
彼女たちは無視され続ける声を届けるために、武力行使さえ厭わない。
それに対する政府の弾圧もえげつない。殴る蹴るは当たり前、凄惨なシーンがいくつもある。
これらが実際に行われていたと分かった上で観ていたが、それでも観ていて辛かった。

彼女たちは別に特権を欲しがっていたわけではない。
社会で生きていく人間として、当たり前の権利を求めていただけだ。
ここに出てくる彼女たちは、低賃金で長時間労働を強いられている。
男性と同じだけの仕事をしているのに、賃金は男性より低い。ただ女性というだけで。
そして政治に対して「女には政治は分からない」と言われ、参政権は得られない。

最後まで観ると分かるが、人が死んだことでようやく女性は権利を得るための一歩を進む。
ここまで闘ってきたのだ、と思う。

もし観ていない方がいたら、是非観て欲しいと思う。
女性も男性も。過去にこんなことがあって、今があるということを知るのにはうってつけだと思う。

 

今、私は選挙に参加するために郵便ポストに火炎瓶を投げ入れたり、襲撃したりする必要はない。
日本でもまた、女性に参政権を得るため、活動をしていた女性たちがいたことを思い出す。
あの時は受験勉強のために詰め込んだ歴史的な人物たちだったけれど、今考えると、彼女たちの名前から、何を辿れるだろうか考える。日本のサフラジェットたち、ありがとう、とも。

 

最近、西暦にして2017年だよね?21世紀なんだよね?と思うような出来事が次々に起こっている。
その問題は20世紀で話し合いをされてよくないことだとされたよね、というようなことを、つい最近見かけたりしてげんなりすることが増えていた。
権利は主張し、行使し続けないと、すぐに悪いことを考えている誰かに掠め取られてしまったり、いいように扱われてしまう。

だからそうならないためにも、まずは手始めとして選挙に参加しようじゃないか、という話。

 

なんだか妙に政治の話になってしまったが、映画をきっかけに今の自分の状況を考えられるのは、ありがたいことだ。
普段は当たり前のこととして、忘れてしまっているから。

 

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 日本ではBlu-rayが出てないの、悲しい…

 

 

『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』感想

家族にも埋められない孤独を抱えて表現者はそれでも作るのだ。

レフン監督作のネタバレもあります。

 

『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン

https://www.instagram.com/p/BWy8L6fHpA0/

『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』大好き。かわゆみと萌えが詰まってると思いきや物作りをする人間の苦悩と孤独がどんどん浮き彫りになってくる。 #NWR

 

最終日に滑り込みで観て来た。どうやらモーニング&レイトショーという限定上映だったことを行ってから知った。
しかもなんならもうDVDが映画館では販売されていた。本当はDVDスル―の所を配給と劇場が頑張って映画館にかけてくれたんだと思う。ありがたいことこの上ない。

 

あらすじ

映画監督ニコラス・ウィンディング・レフンの監督作『オンリー・ゴッド』の制作現場を、妻であり女優のリブ・コーフィックセンが撮影したドキュメンタリー。撮影直前辺りから、カンヌ映画祭に行くまでの期間、パリ、バンコクコペンハーゲン、カンヌと四カ国に渡って映し出している。
ちなみにレフンのドキュメンタリーを観るのはは二作目。一作目『ギャンブラー  ニコラス・ウィンディング・レフンの苦悩』はプッシャーの特典に入っているのだけど、オーディトリウム渋谷で一日だけかけてくれたので観に行った。こちらの監督はリブではないが、彼女も当然ドキュメンタリーには登場している。

 

かんそう

一作目に比べてお金がある!
前作は『フィアーX』『ブリーダー』の後で、借金まみれでとにかく金がない、金がないと繰り返していたのに、「とりあえずこれだけある」「あとこれだけ金策がある」という安心感!
いや現地で調達してて、直前までこれでいけるか?みたいな博打のような雰囲気があったけれど。
今も尚資金面では苦労するんだなあ…としみじみした。何よりもお金大事…

 

ここに映し出されるレフンは、不安と苦悩に満ちていて、自分勝手にすら見える。
特に映しているのがパートナーなのもあって、俳優やスタッフには見せていない部分が出て来る。
苛立ちを隠さず、焦燥感に苛まれているのはドキュメンタリーならではだし、ここまで自分勝手にすら見える姿を引き出せたのは彼女だからだろう。
自分の撮っている映画の全容や道が見えていなくて、正しいのかが分からないまま進んでいく。
その答えは誰にもあげられない。映画が完成して、観客の目の前に晒されるまでは分からないのだ。
それがものを作ることなのだ、と痛感した。

 

観ている最中、来日したレフンと対談した小島秀夫のことを考えていた。
「ものづくりをしている人は孤独だから、それを分かち合って仲良くなった」みたいなことを言っていて、その時は言葉通り受け取ったのだけれど、この映画を観てその孤独の一端を見た、ような気がした。
作中で編集のマシュー・ニューマンが、撮影した映像を観て「こういう映画が撮りたいんだということが分かった」みたいなこと言ってて、そに対して嬉しくってレフンが泣いてしまった、とごずりんこと主演のライアン・ゴズリングに話すエピソードがあるんですけど、本当に作っている最中の闇と差し込んだ一筋の光のようだった。
映画が分かってもらえるかどうかなんて分からないままでひたすら信じてつくり続けることの辛さよ…映画だけでなく、表現をする人はみんなそういう孤独を抱えているのだと思うのだけれど。
小島さんとはその辺が共鳴したのかな、と思った。
その話に対してごずりんは「俺は?」って訊ねていた。
「いや君も理解しているとは思ってるよ!」と慌てて弁明するレフンがちょっと面白かった。

 

そんな風に、撮影中、そして発表場所のカンヌでもずーっと一緒にいたライアン・ゴズリングにほっとしてしまう。
オンリー・ゴッド』は元々違う俳優がキャスティングされていたが、土壇場でキャンセルし、どうしようとレフンが泣きついたごずりんが、そのまま手を挙げたという経緯がある。
撮影してる間にいるのは勿論なんだけど、そうでない時、親戚のお兄ちゃんみたいに娘達の面倒を見たりしているのがとても良かった。
もうたまらなくかわいくてかわいくて仕方なかった。レフンも色んなシーンがあってかわゆみが止まらなかったけれど、ごずりんと一緒にいると相乗効果ですごい。画面がかわいい。
レフンが真面目に映画について話してるのにふざけてたりもする。
これはレフンとの信頼関係がないとできないことだよなあ、と思う。
彼もまたこの後『ロスト・リバー』を作ったのかと思うと、感慨深い。

 

一方で、監督であるリブ・コーフィックセンの生き方にも胸を締め付けられる。
初っ端からホドロフスキー(映画監督・タロット占い師・レフンの盟友である)がタロット占いをして、リヴに向かって「貴方が旦那(レフン)を支えてあげなきゃ駄目なんだ」と繰り返し言っていて、じゃあリヴはどうするの?と思ってしまった。
夫の仕事についていき、その間自分は仕事が出来ない。
子どもたちの面倒を見る人、になってしまっていて…ありきたりな話だけれど、こんなレフンのような映画を撮る人と、女優であるリブの間でも起こりうる普遍性に、胸がとにかく痛かった。
離婚をすべきか?というリヴの相談もホドロフスキーにしてて「いやぁ…それは良くないと思うよぉ…」って口ごもるホドロフスキーにこの人はレフンの味方だなあって思ったりなどしてしまった。支えてほしいんだよね。きっとね。
「愛を見せてくれよ」「貴方こそ見せないじゃない」というやりとりをこの映画の中で夫妻はしているんだけど、次に作った『ネオン・デーモン』のラストに「♡ LIV」って入れてたの、あれ切実な問題だったんだな…

 

最後に「たかが映画よ。世界の終わりじゃない」っていう娘さんが格好良すぎた。
苦悩がそのまんま映画に出るので、あんまり苦しんでほしくない、楽しく映画を作って欲しい…
そして『オンリー・ゴッド』が好きな私は、ずーっと「つまんないかも…失敗かも…」とスクリーンに映ってるレフンに対して「そんなことないよ!貴方のつくりたいこと、ちゃんと伝わってるよ!」と叫びたくなった。
オンリー・ゴッド』で日本に来た時のティーチイン、あんなに本格的だったものに参加したことないくらいレベルが高かったから、あれでレフンが少しでもホッとしてくれたらいいなあ、と今更改めて思ったりなどした。

 

ものづくりはどこまでも孤独だ。どうしようもない。
それでも彼には素晴らしい師と、パートナーと、友人と、キャストと、スタッフがついている。
良かったね。皆末永く仲良くしててね、でも辛い選択にならないようにね、とえらそうに祈ってしまった。

潤いを求める

比喩ではなく本当の話である。

現在顔の肌の状態があんまりよろしくない。
元々乾燥しがちで、化粧品のカウンターで見てもらっても「表皮の水分が足りない」という判断を下される。
それが最近は、頬がガッサガサになってることはしょっちゅうで、目の周りと鼻の穴の周りも皮が剥けていた。
現在目の周りは薬を塗ってて大分落ち着いた。頬や鼻も処方された保湿剤を塗って保たせているような状態だ。

 

ここ数ヶ月、あんまり調子がよくないのに加えて、去年辺りからずっと使ってきたオルビスの化粧水がまったく合わなくなってしまった。
初めてスキンケアを使い始めた中学生の時からお世話になっていたものだから、なかなか衝撃だった。
具体的に言うと、つけた瞬間に洗い流したくなるほど肌がピリピリして、肌がカアッと熱くなる。
これまで使っていた時も、たまーにピリリと感じる時があって「ああ今日は調子が悪いんだな」くらいだったのだけれど、そんな悠長なことを言っていられないような刺激を感じるようになってしまったので、急遽使用をやめた。

 

その後とにかく低刺激を求めて肌ラボの極潤を使うようになった。
悪くはなかったんだけど、冬になるとどうしても乾燥してしまっていた。潤いが、足りない。
なんとなく使い続けていたんだけど、これだー!という感じもなく…
試供品などをもらって他の化粧水を試しては「しみる…」といったようなことを繰り返していた。


周りがあまりにおすすめしていたハトムギ化粧水は、使ってみた所アルコールが入っていたので普通に肌がビリピリした。確認せずにうっかりボトルを買った私が悪かった。
しかも調子に乗ってジェルまで買った。
何故か化粧水+ジェルだとすごくしみるのに、ジェルだけだと染みないので、つい最近まで単体で使っていた。

現在、ハトムギ化粧水は友達に教えてもらった、無印良品のスプレーヘッドをつけて身体に吹きかけている。
風呂上がりにシュッシュとかけると、とても気持ちいい。身体の皮膚は顔よりは丈夫なので、今のところはトラブルは起こっていない。

 

 
そこでそう言えば無印、化粧水もあるじゃん、と気付いて、化粧水と乳液を試してみることにした。
お試しのサンプルはなかったので、一番小さいサイズを購入してみた。
化粧水は最初つけた時、なんだかとてもケミカルな香りがしてうっ…と怯んだのだけれど、すぐ慣れた。
どちらかというと乳液の方が心配で、つけて3日くらいは肌がピリピリしていた、が、こちらも落ち着いてきた。
これ使い切るまでには落ち着いて、以前より肌が安定してくるようになれば大きいサイズを購入したいなと思う。

ちなみに化粧水はハンドプレスでつける。
コットンでつけるとたまに肌に引っかかってなんとなーくビリビリすることがたまにあるため、もっぱら手ばかり。
化粧水と乳液、そして皮膚科でもらったヘパリン塗っている。

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ヘパリン撮り忘れた…

 

でも最近拭き取り化粧水?クレンジングウォーターのビオデルマのサンプルをもらって、コットンで拭いて試したらなんだかすごく良かったので、朝に導入してもいいのかなあと思っている。
朝泡洗顔はしないで、水でばしゃばしゃ洗ってるだけなので。
もし何か、低刺激でアルコールフリーのスキンケア商品があったら教えてください。
おすすめされたウィッチヘーゼルウォーターは試してみたい。

今使ってるのはこれ。
潤いが足りなければ高保湿に変えてもいいかもしれないと思っている。 

 

 

まあこんな時間までブログ書いてないではよ寝ろって話ですね。
というわけでおやすみなさい。

 

ダニエル・ラドクリフと私(お誕生日おめでとう)

本日2017年7月23日は俳優ダニエル・ラドクリフの28回目の誕生日です。
ケーキは食べなかったけどお誕生日おめでとう、という気持ちでこの記事を書く。

彼はとても尊敬する俳優であり、沢山の「初めて」をくれて、色んな原動力になっている人なので、改めて書き連ねたい。

 

彼との出会いは多くの人がそうであるように『ハリー・ポッター』シリーズだった。
一作目の『ハリー・ポッターと賢者の石』公開当時、私は既に原作を読んでいる大ファン。
ポッタリアンと自称していたと思う。
映画はすごいと思ったけれど「やっぱり本の方がいいな」とえらそうに思ったことをよく憶えている。映画より本が好きな子供だった。
今初めて観たら、なんて出来の高い、当時最高峰の実写化だろう…とうっとりしていたと思う。

 

でも映画の影響はすごい。
私はこのシリーズを毎回ちゃんと映画館で観たし、観ている内に映画には「ロゴ」というものが最初に出てくることを覚えた。映画には創っている会社がいっぱいあって、「WB」のロゴが出て来る作品は大抵面白いと思っていた。
また、出ている俳優は誰だか全然知らないけど、パンフレットを読むと「豪華キャスト陣!」と銘打たれている人たちだらけで、それ以来誰かの名前を見かけると「この人はハリポタのあの役の人だ」と覚えるようになった。
これも今観ると知ってる人しかいないし、超豪華過ぎて意味がわからない。本当に気合が入っていてワーナーが社運を賭けて作っていた映画であることがよく分かる。
未だに「英国俳優でも自分は出演していない」というジョークが出て来るほどに、ハリポタに出るのはスターテスだったのかもしれない、と思えるほどにはまあ色んな人が集結していた。
(勿論、出てなくても素晴らしい俳優はたくさんいる!)

 

まあ、そんな中でダニエル・ラドクリフである。
私は主人公のハリーことは普通に好きで、彼に対しては可もなく不可もなく、というのが最初の印象だった。もっと髪の毛はくしゃくしゃでいいのにな…と思っていたくらいだった。
他の出演作品は知らなかった。ハリポタの前にマクゴナガル先生(マギー・スミス)と共演したことがある、くらいの情報だけ。ハリポタシリーズ以外にも、あの期間に他の作品に関わっていたことも、なんにも知らなかった。
唯一知っていたのは「全裸で舞台に挑戦した」ということくらいだった。舞台『エクウス』である。これが彼の初舞台作品だった。

ポッター役のラドクリフ、舞台「エクウス」で全裸に | ロイター

エンタメ系ニュースサイトじゃなくてロイターでも記事になっている、というのに話題性を感じる。

 

時は流れ、映画の最終話である『死の秘宝part2』の頃には重過ぎる思い入れのある作品となり、生まれて初めて何度も映画館にリピートした映画になった。
原作が終わった後は「映画がまだあるから終わってない」ってずっと自分に言い聞かせてたけど、映画が観終わった後、まだ自分が観ている内は終わっていないと思って、結局4回観た。

その思い入れは、作品だけではなくて、キャストやスタッフにも及んだ。
ハリーたち主人公3人は、映画の途中から別のキャストに変わるという噂も出ていたが、結局全8作、ほぼ全員が同じキャストのままで終了した。こんなにホッとしたことはなかった。続けてくれてありがとう、という気持ちだった。

 

そしてハリポタが終わってしばらくした頃、ダンの主演作として話題になっていたのがホラー映画『ウーマン・イン・ブラック』だった。
今までホラー映画を観たことがなかったけれど、ハリー以外を演じるダニエル・ラドクリフを観てみたい、という気持ちで映画館に行った。
ちょっと怖かったけど、面白く観れた。
この作品のお陰で、映画館でホラーを観れるようになった。

 

この後、決定的にダンのことを好きになる作品が出てくる。
ツイッターで騒いでいるのを見ている人にはおなじみ『キル・ユア・ダーリン』である。
『ウーマン・イン・ブラック』以降久しぶりにダンの出演作の話題を聞いてから、この映画が作られるということを知って、とても楽しみにしていた。
撮影初日の写真が出た時から、狂ったように情報を集めるようになった。
そこからトロント映画祭でのプレミア上映や、インタビューを調べたりしていた。
いつ日本公開だろう、と待ち続けたけれど、一向に情報は出なかった。その内海外では円盤が発売され『キル・ユア・ダーリン』は初めてアメリカAmazonで買った作品になった。
その後日本では公開されずに、DVDスルーになった。
ちなみに現在、日本のAmazonでも北米版が買える。

 

初めて『キル・ユア・ダーリン』を観た時、ダンのあまりの可愛さに完璧に打ちのめされていた。こんな彼は観たことなかった。一挙手一投足の全てが可愛かった。
同時にデハーンの美しさにも打ちのめされていたのだけれど、一緒に観たデハーンファンの人に「ダニエルのファンだとこういう反応になるのねえ」と言われた事をよく憶えている。
(akiさん、元気ですか。突然いなくなってしまってとてもさびしいです。いつかまた会えますように)

 

その時、私こんなにダンが好きだったんだ…という謎の衝撃に受けていた。
同時にデハーンも大好きになったのだけれど、私の目に見える範囲では彼のファンはとても増えていく一方で、ダンが好きという人はとても少なかった。それが多分、私が余計に彼を応援するようになったきっかけだと思う。

そこからはもっと彼のことを知りたくなった。
今どんな映画にの撮影をしているのか、はたまた舞台をやっているのか。
彼をフォローするためだけにGoogle+を始めたりした。
新作の映画が観れなくてやきもきし、海外版のBlu-rayを買ったり、日本未公開のDVDスルー作品を買ったりしていた。

『キル・ユア・ダーリン』を映画館で観れなかったことが悔しくて、キルユアと同じくらい観たい!と思っていた『ヴィクター・フランケンシュタイン』を観るために、リアルで会うのはその時が二度目ましての方と台湾に行って観た。(葉さんその節はありがとうございました)

 

そして今年の3月には、ダンの主演舞台『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を観に行った。
そのために初めて一人で海外に旅行をした。
初めての生の舞台はとても素晴らしかった。すぐ目の前で彼が動いている、演技をしている!
そのことについては10月に出る予定の舞台旅行本に寄稿させていただいたので、そこに詳しく載る予定。
ここか、本にするかでいつかこの旅行全てについてまとめたいとは思っている。

 

そして、終演後に本人に会うことが出来た。
ファンについてもたくさん聞かれ、その度にいろんなことを答えていたダンと会うのは本当に怖かったのだけれど、会ってみると、こんなに大勢の人に会っているのに、紳士であることに務め、優しくて思いやりのある人なのかと驚いた。
舞台のマチネでもソワレでも、終演後には毎回出てきて希望している人のすべてにサインをし、写真を撮り、ずっと動き回っているその体力と精神力の強靭さに、尊敬しかない。
自分の口で舞台の感想を伝えたり、キルユアの話が出来てよかった、と今でも思い返している。
会って話し切れないことは手紙に書いて渡した。とても喜んでくれた。
名前も呼んでもらったし、ハグもしてもらったし、彼が写真を撮ってくれたしで、会えて本当に良かった。
この時一緒にいたやつしろさんは完全に私の介護を任せ切っていた。やつしろさんありがとう。

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隠しているけれど、この時の私の顔、今まで撮ったどの写真よりも写真写りがいい。これは本当の話。

 

舞台が終わった今も、楽しみな企画が目白押しだ。
映画もドラマも決まっているし、多分また舞台も声優もやるだろう。もしかしたら映画監督にも挑戦したりするのかもしれない。
ハリポタに出ていた時からずっと、ダンは第一線で活躍し続けている。日本だと未公開だったり舞台に出るだけだと「あの人は今?」と言われそうになることもあるけれど、本当に、ずっと仕事をし続けている。
彼のことを観続けていられるという幸福を噛み締めている。
彼がいたから、私は海外のBlu-rayの買い方を覚え、海外へ旅行し、映画館のチケットを買ったり舞台を観たりした。
次はどんな景色を見せてくれるのだろう、とわくわくしながら、改めて彼の誕生日を祝いたいと思う。
28歳の誕生日おめでとう。


そして去年、『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』の公開記念としてダンの出演作などをだらだら紹介する #ナウユーシーダン というタグをつけた紹介をツイッターで呟いていたのだけれど、今年は #スイスアーミーダン のツイートで引き続きやろうかなあ、と思っているところ。
まだ紹介しきれていない作品もあるし、正直私が観ていないものもあるので…

 

とりあえず今後日本で観られるダンは、映画『スイス・アーミー・マン』になる。
9/22(金)公開予定なので、皆観てね。
ポール・ダノダニエル・ラドクリフのダブル主演だよ。
現在手ぬぐいつきの前売り券が販売中だよ。


『スイス・アーミー・マン』 特報

アルメイダ・シアター・ライブ『リチャード三世』感想(ネタバレあり)

すべりこみでアルメイダ・シアター・ライブ『リチャード三世』を観て来た。TOHOシネマズ川崎はシアター・ライブは基本的に全て上映してくれるので本当にありがたい。以前マーティン・フリーマンが演じていてそれを観るために随分とTLの人たちが渡英していたのを憶えている。2016年に上映されたものが、もう日本で観れるって本当にありがたい。


舞台はまさかの現代から始まる。リチャード三世の遺骨が発掘されたところから、物語は彼の生きている時間まで巻き戻っていく。序盤からレイフ・ファインズ演じるリチャードの凄みに圧倒されて、無茶苦茶なことを言っているのに、頷かざるを得ない状況になっていくのが、観ていて辛かった。ああいう圧力を感じるとこちらも一緒に辛くなってしまう。
それでもありあまる程に面白かった。実は初めてのリチャード三世だったが、困ることは特になかった。荒々しくて時に

ルパート・グールドの演出の話が怖かった。レイフ・ファインズに「演じるのではなく、内なる感情を表わせ」とインタビューで述べていたのだ。あの恐ろしいリチャード三世は、リチャード三世であり、同時にレイフ・ファインズの感情の増幅を見ているのだから。いや、多かれ少なかれ役者の感情は役に乗るものだとは思っているけれど。「特に有名な役は、自分を出した方がいい」とも言っていたので、同じく彼が関わっているアンドリュー・スコット主演『ハムレット』もまた、アンドリューが出て来る演技なのかな、と思って期待した。

 

というのも、そうです、私来月アンドリューの『ハムレット』観てきちゃいます!
だから今日のアルメイダ・シアターの客席が映る度に「来月!此処に!行く!」とテンションが爆上がりしたのでした。いよいよ実感が湧いてきたぞ…!

 

 

…………という書くだけ書いてほうたらかしていた記事を発掘したのでアップする。
一体いつの話をしているんだ。これを書いたのは恐らく2月だ。

10月には佐々木蔵之介が『リチャード三世』を演じるので観に行く予定。こちらほぼ男性ばかりの配役になっていたので、どういう演出になるのか楽しみ。
また、今度ファン・ジョンミンがリチャード三世を舞台で演じるという話をちらりと聞いた。
この人のリチャード三世は、多分、凄まじいことになる。『アシュラ』という映画のファン・ジョンミン演じるパク・ソンべというキャラクターがヴィランとして物凄く魅力的で恐ろしかったので、リチャード三世も、絶対面白い筈だ。

反撃の狼煙が上がる(映画『スプリット』感想※ネタバレあり)

ティーチイン

初見はありがたくもジャパンプレミアのチケットを自力で購入して見てきたので、M・ナイト・シャマラン監督と主演のジェームズ・マカヴォイのティーチインつきだった。
参加できてとても良かった。シャマランが真摯でかわいいのと、マカヴォイの気の利かせ方がとにかく凄かった。
既に散々語られているけれど、マカヴォイが写真撮影が禁止だった会場で撮影OKにしてくれた瞬間は素晴らしかった。

「僕達がセルフィを撮る時、君たちもフラッシュを焚いて参加してくれないかな?そうすると星空みたいになって素敵なんだよ…もちろん君たちも写真を撮ってくれて構わないよ」みたいなこと言って会場が写真OKにしてくれたのも、実際に撮った写真が本当に光に溢れてて素晴らしかったのも、とても心に残っている。恐ろしいまでにスマートな人だ。

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(しかし突然の撮影OKのため、遠距離だとまったくピントが合ってくれない私の携帯Xperia XZではこれが限界だった…無念…)

 


さてティーチインの話はここまでにして、映画本編の話へ。
今回は初っ端からネタバレかっ飛ばしてるので、見たくない方はここで戻ってほしい。

 

 

 

あらすじ

女子高生のケイシーは、渋々参加した誕生日パーティーの帰りに、同級生の女の子2人と謎の男に誘拐される。
目を覚ますと3人は見知らぬ場所に監禁されていた。
誘拐した男と話をする別の人物に助けを求めた所、同じ人物に見える男がまったく異なる服装、喋り方で話しかけてきた。彼は多重人格者であることに気づく三人。
どうにかして逃げ出そうとするが……

 

感想

ひっっっっさびさに予習をしないことを後悔した。
今までシャマラン監督作を殆ど観てこなかったせいで、ラストのブルース・ウィリスにぽかんとしてしまったのだ。
予習しといた方がいいよ、と言われなくても観とけば良かったよ、本当に。そもそもネット上では配慮して誰も言ってなかったけど。(その配慮はとてもありがたかった)
でも知らなかったからと言って『スプリット』はつまらなかったのか?と問われたら、それは違う。めちゃくちゃ面白かった。例えば、予告を一切見ていなかったので、どうやって誘拐されるのとか全然知らなかった。だから、始めのシーンからとても緊張かつ集中して観られたことも幸いだった。
観終わってから、これは救済の話だと最初は思った。けれど、後日『アンブレイカブル』を観た上で、もう一度観に行って意見が変わった。これは「反撃」の物語であるということだ。

 

『スプリット』は23の人格の一人、デニスが三人を誘拐する所から始まる。相手は無作為に選んでいるわけではない。
後をつけ回すことは以前にやっていたとヘドウィグが言っていたが、実際に誘拐したのは恐らく初めてだ。以前にもやっていたなら、それこそ“群れ”と呼ばれている三人以外の人格が、医師に同じようなヘルプメールを出しているだろう。
作中で女子高生2人がわざとケヴィンの手を掴んで胸に当てさせた、という話をしているが、それがケイシーを除く誘拐した女の子たちだ。
彼女たちと接触があった時、ケヴィンの人格が誰だったかは分からない。彼女たちにとっては度胸試し、遊びの延長だったかもしれいないが、しかし彼にとってその行動は衝撃的だったろうし、れっきとしたセクシャル・ハラスメントである。その混乱の最中に、ヘドウィグが何らかの方法で「照明」を奪うことができたのだろうと推測される。そこから、元々人格たちの中でも疎まれていたパトリシアとデニスが台頭し、反撃に出るのだ。彼ら3人の“群れ”と“ビースト”によって。


そもそも分裂した人格たちは、主格であるケヴィンを虐待や外部から守ろうとするために生まれてきた。親からの虐待から逃げられなかった彼は、人格を引き裂くことしか出来なかった。それがいつしか超人的な人格である“ビースト”を生み出してしまった。
元々DIDが「患者」として扱われ、普通の人に比べて下に見られてたから「我々は人類よりもすごい存在なのだ」と世界に対して宣言をすることが“群れ”の目標になったのではないだろうか。ヘドウィグが何度も「見返してやる」と言っていたのが印象的だった。
それがこのセクハラ事件によって群れたちは“ビースト”を求め、迎えるための準備を始める。

 

ケヴィン・ウィグラム・クラムと彼の有する23の人格達を演じたのはジェームズ・マカヴォイ。私は以前からこの人のことを世界でトップクラスに演技が上手い人だと思っていたのだけれど、今回も遺憾なくその才能を発揮していた。実際演じていたのは24人格全てではなく、その三分の一である8人分だったが。ただ、バリーに化けているデニスという難役さえやっているので、9人とカウントしてもいいかもしれない。この人数が一本の映画で演じられる限界なんだろうか、と思いつつ、今後24人全員演じて欲しい。それくらい素晴らしかった。特にワンショットで人格が目まぐるしく変わっていくシーン、あれは本当に凄かった。喋り方と表情と動きでまったく違う人物が瞬時に浮かび上がってくる。本人の負担は凄いだろうけれど、ずっと観ていたくなる。

 

ここでもう一人の主人公、ケイシーについて話したい。演じているアニャ・テイラー=ジョイも凄い。僅かな、でも確かに滲んでくる強さの演技は圧巻だった。これからとてつもない女優になっていくと思う。

誘拐に巻き込まれた彼女は、他の二人と親しいわけではない。拉致されてからも、進んで協力しない。試行錯誤する二人のことを「無駄」と言い、デニスの掃除をしろなどの要求に、最初に従う。かと思えば、少女の一人が連れて行かれそうになった時「おしっこしちゃえ」という思いつかないようなアドバイスをする。
これは彼女が他の二人と比べて単に頭が良いからなのかなって最初は思っていたけれど、映画が進んでいく内にそれだけではないことが分かる。

挿入される父と叔父との幼少期の思い出。ケイシーが多重人格者の男に立ち向かえるだけの優秀な狩人であるという暗示かと思いきや、叔父に(恐らく性的な)虐待をされていたことが分かる。だから逆らっても無駄だし、刺激したくない。他の子が逃げ道を探そうとしてる時にしない。そして現実にいない時には、悪夢にうなされている。
ただ、実際彼女は優秀な狩人の素質はある。ケイシーは叔父に言うことを聞かされていたのと同じ手段で、今度は自分より弱いヘドウィグに対して攻撃に出る。
叔父がケイシーに言うことを聞かせようとして「お父さんに悪い子だって言うぞ」というような言い方をする。自分にとって絶対の存在にお前のことを脅かすぞ、と。そしてケイシーは「デニスとパトリシアが、本当は私達じゃなくて貴方のことを差し出すつもりなのよ」とヘドウィグに言うのだ。
他にも「内緒なんだけど」「あなたにはこっそり」とか、9歳の男の子が聞いたらくすぐられるようなワードを使うし、信じてる大人が本当は悪い人なのよ、みたいな言い方は子供にとって絶大な効果発揮するから、うまくいきそうになる。この辺りの彼女の駆け引きは引き込まれるし面白い。面白いと思うと同時に、彼女の遭ってきた境遇を考えて、やりきれなくなる。
最初観た時はケイシーの行動が腑に落ちない部分があったのだけれど、もう一度観ると、彼女の動きがものすごく説得力があることに気づいて震え上がった。僅かな視線の動きや、観念めいた表情も、理由が分かる。

 

そんなケイシーとビーストは最後に邂逅を迎える。狩る者と狩られる者だった二人は、ビーストがケイシーの身体に残る傷跡に気づいたことで、状況が一変する。
それは「虐げられていた者」同士の出会いだ。
ビーストというのはケヴィンを守るために生まれた人智を超えた存在だが、彼にとってはケイシーもまたケヴィンと同じ。だから彼は殺さなかった。 そして「喜べ」と言う。お前は他の者達とは違うと。生きていていいのだと。あれはビーストによる、ケイシーへの福音だった。
学校にも家にも居場所などない、望んで孤立していた彼女は、思いもよらない仲間を発見する。
涙を流すケイシーは、襲われなくなったことにホッとしているようにも見えるし、解放されたようにも見える。それはあの拉致監禁の状況もそうだが、今まで彼女を縛り付けていた虐待のことさえ、何か解放されたような気がしてしまう。

 

そして祝福を受けたケイシーは、今一度戦うことを思い出す。彼女はラスト、「叔父さんの迎えが来たよ」という警官に対して返事をせず、強く睨みつけるだけで終わっている。この後のことは描かれていない。彼女がどういう行動を取ったかは分からないけれど、叔父に対してただなすがままではないであろうことが予想される。これは彼女一人で立ち向かうかもしれないし、この警官に叔父がしてきたことを洗いざらいぶちまけて、保護されることになるのかもしれない。でも彼女はもう戦うことを諦めるという選択肢は、もうないのだろう。ケイシーはもう戦えるのだ。反撃の狼煙は、あの時に上がったのだ。決意の現れは、彼女の目が雄弁に語っている。

 

どうしようもない状況に陥った状態の人に、誰かが手を差し伸べる瞬間が物凄く好きなので、ビーストとの邂逅のシーンは、初回はとても混乱し、私はもう危機が去ったことへの安堵と興奮でめちゃくちゃになって、わけも分からずに泣いてしまった。もしかしたらケイシーも同じだったかもしれない(全然違うかもしれない)
色んな箇所で、この映画はX-MENを想起させる。分かり合える同じ立場の誰かと巡り会える瞬間や、超能力を持ち得ているかもしれない人間を越えた人間の研究などだ。また、ジェームズ・マカヴォイX-MENシリーズでプロフェッサーXを演じているし、今度アニャもX-MENの映画に出演が決定している。
また、精神科医であるフレッチャー医師の「ボルチモアの同僚」というところと、狩りをする父親と娘、奇妙な出会いをした二人のシンパシー、という辺りではドラマ版の『ハンニバル』のシーズン1も少し思い出した。が、こちらはまだ完走していないので印象が変わるかもしれない。

 

 

ところで面白いのはケイシーとビーストは、似たような境遇である一方で、相容れないであろうということ。
「不純な若者を食べる」というビーストは間違いなく犯罪行為である一方、ケイシーは今のところ犯罪行為はしていない(ビーストに銃を向けたのは正当防衛だろう)
また、彼女は分裂していない。ここで、ケイシーとビーストの道も分裂したのだと思う。
だからこそケヴィンはヴィランになり、ケイシーは恐らくそうはならない。
本当は、ケヴィンだっていっぱいいっぱいの筈なのだ。例えばデニスは、ケヴィンが3歳の時に生まれたと主張している。言われたことを「完璧」にこなそうとする必要があると感じた彼は、その通りにした。結果として、デニスは強迫性傷害を持っている。「完璧」でないと気持ち悪いのだ。

 

また、ジェームズ・マカヴォイによると“ビースト”はチーム・ケヴィン(いわゆる彼の人格達)の応援団長らしい。*1
そんな彼は殺人を犯しているが、どうも完全悪としては描かれていないように感じた。人間ではなく、高次元の存在として描かれていたからかもしれない。彼にとって捕食は生命活動の一環なのかもしれない。謎は深まっていく。

 

 

 

そしてこの物語は『アンブレイカブル』の続編ということが、ラストで明かされる。
ここで数々のただのシーンとして観ていたいくつものカットが、何か前作との繋がりがあるのではないかと思わせる。
特に印象的なのがビーストが生まれる場所である。彼は電車の中で覚醒する。『アンブレイカブル』も、電車のシーンから始まる。ここで『アンブレイカブル』の主人公であるダンは、自分が他の人とは違うことにはっきりと気づく。
電車に乗って、帰っては来なかったケヴィンの父親。もしかしたら、パトリシアが花を買って電車に供えたのは、父親もあのアンブレイカブルで起きた事故の犠牲者である可能性もある。

 

 

そして『スプリット』は『Glass』という新しい作品へと続いていくことも知らされる。
ここに私は、シャマランもまた反撃に出たのだと思う。同じ世界観を共有している複数の映画作品は、MCUシリーズをはじめDCEUシリーズとか、FOXマーベルユニバースとか、あとユニバーサル・モンスターズとか(これは違うか?)、色々出てきている。そこに15年の時を経て、シャマランが一人で乗り込んできたのだと思う。
『スプリット』の前身である『アンブレイカブル』もまたアメコミに大きく影響を受けている。また、Mr.Glassを演じているのは、アベンジャーズでフューリー長官を演じているサミュエル・L・ジャクソンというのも面白い。世界を救う組織の長だった彼が、悪役として再登場する。
この続編がどういう形で私達の前に現れるのかは分からない。分からないが、ダン(ブルース・ウィリス)も、Mr.Glassも、ケヴィンも、そしてケイシーも帰ってくる、とシャマランは明言している。
今一番楽しみにしている続編になった。2015年あたりから続編に期待するのはよそうと思っていた私が、今、こんなに続きを待ち望んでいる。彼女たちがどういう形で反撃してくるのか、全然予想がつかないし、恐らく簡単に驚かされてしまう。奇才、ナイト・M・シャマランの手によって。

 

 

一点、この映画の悪いところは「不純な」「若者」を食べる、と言っていること。ケイシーを[Pure(純粋)]と言い、そうでない子たちのことは[Impure(不純)]と称するのはあまりうまくないと思う。虐待をされているのは純粋な証なのか?目に現れない形であったら?
最後のビーストの宣誓とも取れる演説は、舞台がかった喋りになっていて、ジェームズ・マカヴォイが舞台で活躍しているからこその演技だったと思う。だからこそもう少しうまくできたと思うので、次回ではこの辺りが解消されていてほしい。

 

 

 

*1:ティーチインの時にそう発言していた