熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

体内で渦を巻く言葉たちは、内臓を千切る(THE POET SPEAKS感想)

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行って来て暫く経ってしまったのだけれど、どうしてもこれは書き記さなければならないと感じているので残しておく。断片的なメモはあったけれど、きちんと時系列に残しておきたくて。
 
 
『THE POET SPEAKS――ギンズバーグへのオマージュ』に行って来た。
私にとってギンズバーグと言えば『キル・ユア・ダーリン』なのだけれど、まさか彼に関するイベントが行われるなんて思っていなかったので即チケットを取った。
ギンズバーグ以外のことは、何も知らなかった。村上春樹柴田元幸が翻訳したと聞いて、なるほどとは思った(ギンズバーグの翻訳をしていた諏訪優は既に亡くなられている)
フィリップ・グラスはかろうじて名前を知っていて、パティ・スミスに至っては彼女のことを何一つ知らなかった。つくづく自分は無知だと思う。けれど、ギンズバーグのお陰で私はこの数年で様々なことを知ることが出来たし、今回はまさに私の人生では繋がらなかった二人の音楽家と出会わせてくれたのだと思う。ありがとう。
ちなみに私は2年前に『キル・ユア・ダーリン』という映画を観て以来、狂ったようにビート・ジェネレーションや関連する文化への興味に傾倒している。傾倒、というか、人生がちょっと傾いている。
 

そういう訳で出演者のことを全然知らなかったため、当日までどんなイベントになるのかすら想像がついていなかった。音楽に関するイベントなので、コンサートと思えばいいのか?という感じ。
いつも行くようなコンサートとは、当然だけどまったく雰囲気が違った。(普段は日本のロックバンドかポップスのミュージシャンのコンサートとかに行く。最後に行ったライブは父親の連れとして柴咲コウのコンサートに行った)
すみだトリフォニーホールには、モノクロでおしゃれな服を着た男女が集まっていた。年齢層はある程度高めな気がしたけれど、若い人も沢山いた。
三階の端の方の席だったけれど、スクリーンに大きくアレンの写真が映しだされていたので、特に困ることはなかった。
ただ、オペラグラスは持ってきた方が良かった。失敗。


最初に女性と男性が出てきたけれど、フィリップ・グラスパティ・スミスでは、ない、なあ…と思っていたら演奏と歌が始まった。
彼女はパティ・スミスの娘ジェシーだった。男性はテンジン・チョーギャルという方。
オープニング・アクトという概念をすっかり忘れていた。3曲ほどやって、彼女たちは退場。
 
 
そうしてここでパティ・スミスフィリップ・グラスが登場。
パティがフィリップと手を繋いで出てきたのが印象的だった。
パティが冒頭に「ギンズバーグは90歳、フィリップは80歳、私は70歳を迎えた。私はまだベイビーよね」
みたいなことを言っていたのが面白かった。皆6月生まれなのも、不思議な縁みたいな気持ちになる。
しかし70歳でベイビーなのだ。私なんぞまだ生まれてもないのかもしれない。
そして彼女はオバマ大統領が広島に訪問したことについて触れてから、フィリップのピアノをバックに、詩を朗読し始めた。
それに合わせて、それまでアレンが映っていたスクリーンが、詩の翻訳した字幕が映しだされた。
始まった途端、パティ・スミスの力強さがそのまま詩の強さになってこちらに伝わってきた。
「未来へのノート」の冒頭、目覚めよ、が繰り返されるのが本当に体内の細胞が割れて新しくなっていく感覚。
しかし次に読まれた圧倒的に「ウィチタ渦巻スートラ」が良かった。「おれは戦争の集結をここに宣言する!」という一文では途中にもかかわらず拍手が起こった。この詩はノートに書きつけられたものではなく、声で語られてレコーダーに焼き付けられていた。なので、読まれることによってはじめて威力を発揮していると思う。
パティの詩と、アレンの詩が交互に読まれているようだった。アレンの方は新潮*1で予習していたけれど、プログラムを買っていなかったのでパティの詩とは知らずに聞いていた。
 
パティは歌も歌っていた。
途中で歌詞を忘れて演奏だけになった時、「I'm sorry、歌詞忘れちゃったー」と手を広げてたのかわいかった。
何事もなく演奏が続いていくのもその場を楽しむようで。終わったら、私のマインドが飛んでいってしまったのよ、と何度も繰り返していた。
詩を読んでいる最中は、譜面台の上に置いた紙を読んだ端から床に捨てていったので、本人のお茶目な感じとギャップを感じた。
 
途中でフィリップ・グラスの独奏もあった。その間は、字幕が映っていたスクリーンが再びアレンの写真へと変わる。殆どが見たことあるものばかりだったけれど、彼のひんやりとした演奏と一緒に見ると、また趣が違っているような気がした。ちょっとしんみりしてしまう。
フィリップ・グラスを楽しむなら次の日の公演なんだろうなーって感じ。
 
またパティが帰ってきて、再びポエトリー・リーディングが始まる。
「ひまわりスートラ」の直前に映し出された写真が、アレン、ジャック、ビル、そしてルシアンという見慣れたものでうわあと泣きそうになってしまった…ひまわりはブレイクの話であることは知っているけれど、彼のヴィジョンが映し出されているような気がして、勝手にうるうるしていた。ルシアンがいなかったことにされていなかったことにも。

極めつけには、最後に吠えるの脚注読んで私は死んだ…予習していたなら分かっていたことなんだけれど、この時まで私はすっかり忘れていた。私はこの部分が一番好きなのです。
繰り返されるHoly!はこの世への祝福のようだった。それにしても「聖なるかなルシアン!」が大スクリーンに映し出されてパティ・スミスに読まれるとかさあ…ルシアンは良しとは思わないだろうけれど、貴方は確実にアレンの魂の核の一部だし、ビートの最初の音を鳴らしたのはまぎれもなく貴方なんだよ。と、勝手に思う。身勝手に。泣いてしまったよね。
吠える脚注、Holy New York Holy San Francisco...とアレンに関連する地名を挙げていく部分があるんだけどラストをTOKYO!にしてくれてそこでも沸いた。これよくある演出だけど嬉しいよね。客席から歓声が上がったし私も上げてしまった。
 
 
ものすごく濃密で、満足度の高いポエトリー・リーディングでした。行って良かった。
ギンズバーグが好きでよかった。初めてのポエトリー・リーディングが、アレンの詩で良かった。
彼のポエトリー・リーディングこそ体験してみたかったけど、それは私には叶わなかったので。Youtubeとか探せば聞けるけど。
しかし最後の曲、ピアノ弾いたのがパティの娘だったためフィリップ・グラスはギターの人の隣に行ってサビ以外は手拍子だけというある意味で世界で一番贅沢なステージだった。
 
 
パティはアレンを師と仰いでいて、亡くなる時も傍にいたと聞いて本当に好きだったんだなあ…と帰り道プログラムを読みながら、改めてかみしめていた。
彼女の詩はギンズバーグを想起させるような言葉の羅列、息継ぎまでのセンテンスの長さ、力強いメッセージ、とまさしく弟子の言葉であった。

 そのプログラムと新潮がこちら。
ギンズバーグの詩集と共に。
プログラム、黒い紙に黒い箔押しでタイトルが書かれていて、格好いいことこの上なかった。

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ステージに上がる時、おりる時、パティもフィリップもどちらも皆手を繋いでいたのが印象的だった。アレンを通して出会った人たちが、彼の亡き後も繋がっている、ということを象徴するかのように。しかし70歳80歳、と言ったけれど信じられないほど猛々しい生命力を感じた。日にちが経ってしまったが、彼のピアノの音と彼女の発した言葉は、まだ身体の中で渦巻いている。


 
 

*1:新潮1337号「アレン・ギンズバーグ、五篇の詩 村上春樹柴田元幸