熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

水面下の荒ぶり、風速不明

参った。降参だよ。もうこれを書くしかないじゃないか。


この記事は、#ぽっぽアドベント こと、「私が動かされたものアドベントカレンダーの25日目の記事です。



この一年は見えない所で激動だった。恐らく漏れ出ていたりぼちぼちつぶやいたりはしていたけれど、このことについてどこかでつまびらかに話したことはなかった。私は語るべきではないと思っていたから。資格がないのだと。けれど今、書いておいてもいいんじゃないかと思って25日もあと2時間とほんの少しで終わるのに、書いてたものを全部投げて今書き始めている。間に合うかは分からない。

……全然間に合いませんでした。ごめんね。



そのことを知ったのは、忘れもしない、普段一度もそんな話題にしたことない人のつぶやきだった。
ざわつくニュースが出るとすぐソースを確認しに行く。この何年もTwitterやっててついた数少ない喜ばしい癖だ。たまにすっ飛ばして忘れるんだけど毎回忘れずにいたい。
それで例に漏れず探して、恐らくどうやら本当らしい、ということが分かった。


2019年1月27日日曜日、櫻井翔の誕生日のすぐ後、嵐の活動休止発表。


まず心配したのは妹のことだった。私よりもよっぽど彼らのことを愛している。その時彼女は遊びに出かけていて、大丈夫かと連絡したら「駄目。帰る」とのことだった。迎えに行こうかと言ったが流石にそこまでは大丈夫、と言っていたので家で待っていた。母が「ねえ嵐、活動休止だって!?」と驚いたように言ったのも覚えている。
しかしこの日、自分が何をしたかはあんまり覚えていない。その日のTwitterを見たらル・ポールのドラァグレースを観ていた。呑気かよ。



元々、好きになったきっかけというほどのきっかけはなかった。
いつも妹の好きなもの、という印象だった。ある時から彼女がどハマりして「相葉くんがかわいいんだよ」という話を横でずっと聞き、面白いから観な!と嵐の宿題くんまごまご嵐を横でぼんやり観ていた。恐らく全国の、家族にファンがいる人にとってはあるあるな風景なんじゃないだろうか。家族に大好き!な人がいて、その影響でなんとなく彼らのことを観たり、気にしたりしている人。私もその内の一人だ。

私はアイドルにハマったことがない。男女問わず。好きか嫌いかで言えば好きな人もいることもある、でも熱狂的に追いかけたりはしなかった。恐らく最初に好きになったアイドルは世代ど真ん中のモーニング娘。だ。学校の行事でLOVEマシーンを踊った世代。で、流行った曲を何曲か、今も口ずさめるがそれだけ。それ以降は追っていない。フォロワーに好きだという人がいて、久々に聞いたくらいだ。泡沫サタデーナイト!良かったね。

初めて買ったCDはASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム一気三枚買いだし、初めて自分が行った武道館はストレイテナーだ。今年初めて行ったライブは核P-MODELで、洋楽もトロイ・シヴァンとジャネール・モネイのライブに行ったくらいでちょろっと聞くが、未だに邦楽ロックと呼ばれるものを最も好んで聴くしライブに行くのが好き。今はSyrup16ga flood of circleを最優先している。今年一番聞いたアーティストはa flood of circleだったとSpotifyが教えてくれた。
そもそも音楽の趣味として、アイドルはかなり対象外だった。バンドのゴリゴリした音楽が好きなのだ。最近は韓国の女性グループを聞くことが増えたものの、表題曲ばかりでアルバム曲を聞いても全部愛せる自信はない。基本的に私のスタンスはバンドのサウンドを愛し始めるとアルバム曲全部通しで聞いて、打率8-9割くらいの好みになれば好きなミュージシャン入りする。なのてこの曲はピンポイントで好きだけど、他はそうでもない、みたいな人たちも数多く存在する。かなり好き嫌いの好みが激しい。ラップも好きなんだけれどなかなか好みに会う人がいない。そういう意味では最近のクリーンヒットはRAU DEFだった。格好いい。
他にも演技も声も好きなミュージカル俳優が音楽方面でも活動しているので曲を聞いてみたら全く好みと合わなくて撃沈したり、流行っているジャンルも聞いてみて曲がまったく合わなくてハマることがなかった。
一方でハイローにハマったのは曲が合っていたからだと思う。小学生の頃はJ-POPも沢山聞いていて、Avex発のアニソンをしこたま聞いていたので耳馴染みが良かったのだと思われる。しかし、ハイローの作中歌でも蓋を開けたら私が好きなのはつまるところVERBALでは?と思われるラインナップになる。


そう、VERBAL。
彼がいなければ、恐らく私はこんなに彼らの楽曲を聞いていない。


VERBALと言えばm-floで有名なミュージシャンかつDJかつMCであり、最近ではLDHの国際事業部のプロデューサーを務め、他にも様々な事業を手掛けている多彩な人物である。
そんな彼がまだデビューしてからそこまで日が経たない頃の櫻井翔に、「ラップやるなら自分で書かないの?」と言ったことが始まりである。
デビュー曲からラップパートがあり、櫻井が歌唱の担当をしていたが、その時は自分で作詞をしていなかった。しかしVERBALのそのアドバイスのお陰で櫻井は自ら作詞を始め、サクラップという名称が誕生し、このグループは曲中にラップ曲が増えていった。今でも歌番組では「作詞/作曲/RAP詞」と紹介され、RAP詞の欄は櫻井翔の名前がある。Thank you, VERBAL……
ドラマ『木更津キャッツアイ』のテーマソングも『a day in our life』というラップ曲で好きだった。今も好きだ。お陰でこのグループはなんとなく好ましい、くらいの気持ちだった。木更津も知ったきっかけは大塚英志の『物語の体操』という本からなのでかなり変則的な知り方をしている。当時出ている俳優は山口智充しか知らなかった。


そこからなんとなく、時間に余裕があったら見る、くらいの距離感だった。だが生来ドラマを禁じられた家に住んでいたため、超有名ドラマ『花より男子』をドンピシャ世代のくせに私は通っていない。『花より男子』は楽しくちょっと世界が広がった学生の象徴であった。話題に入れなかった苦い記憶と共に蘇ってくるものでもある。もし通っていたらもっと違うはまり方をしていたかもしれない。ちなみに『君はペット』も観たかったのに親に止められた記憶がある。そんなこんなで連ドラを観る下地がまったく育たないまま今に至るので薦められたドラマを全然観ていなくても許してほしい。
そこから妹が社会人になってから再燃、それに伴い私の彼らを目にする頻度がぐんと上がった。具体的に言うとテレビ番組は彼らの出演しているものが優先され、気を抜くと横から動画を見せてくる。5人のパーソナリティーのようなものは頭に入り、新曲のシングルはなんとなく分かるようになった。たまに観たり観なかったりしていた。何かの折に「このグループはね、優しいんだよ」と妹が言ったのを覚えている。たまたま大学の後輩が劇場版の『謎解きはディナーの後で』の完成披露試写会を当てて、一緒に見に行ったこともあった。
来年は20周年だねえ、と言いながらファンクラブに入り直した記憶がある。入り直した、というのは以前妹がのめり込んでハマっていた時に、とりあえず一緒に入ってみたが、更新手続きの面倒さに放置してそのまま退会扱いになっていたからだった。
そんな折に、活動休止の話が急に持ち上がってきた。


最初に考えたのは「ああ、やっと彼らは休めるのだな」と「これでもう加害者にならずに済むんだな」という非常にエゴイスティックな安堵だった。彼らを観ない日はない。番組やCMやドラマ、雑誌の表紙やラジオをやっているメンバーもいる。彼らがどれだけ働いているのか、労働な嫌いな私には正直想像もつかない。最初に報道にあった大野の休みたい、という話に、そりゃそうだと納得しかなかった。彼らがいない世界のことを、想像出来ていないというのもあったと思う。これは正直今もそうで、2021年以降どうなるのかは全く想像がついていない。
また近年、日本ではアイドルに対して酷い事件が起こり、日本やそれ以外でも様々な理由で亡くなってしまったアイドルのことが頭にあった。アイドルを好きでいるということは難しいと思った。人間を「消費」している、という問題に今も私は明確な答えを持ち合わせていないまま彼らを、アイドルを観ている。その眼差しが彼らをどれだけ削っているのか、正直分からない。この問題に対して私よりもずっと真面目に真摯に考え続けている人たちが周りにいたお陰で、無自覚でいないで済んだ、という程度だ。
こんなにも過酷な労働をしており、プライベートすら自由にならない彼らのことを、私含めた存在が際限なく求めることによって追い詰めていたというのなら、もうこれ以上彼らを消費することなく済むのだ、という安堵があった。本当に、エゴだと思う。


しかし、そこからの彼らは完璧と言っていいような情報コントロールを続け、活動休止に至った経緯も、今後の活動に関しても、出来る限り伝えていた。発表からすぐの記者会見は普段私が観ている彼らと変わらなかった。深刻な話題に対し真剣だが、ほがらかでさえあった。ここまでは見せる/見せないのコントロールを、こんなにもうまくやっている日本の芸能人は多くないと思う。望まれるものも求められるものも多い彼らだからこそ、応援し続けてくれる人、未来になってくれる人のことまで考えて、2020年12月31日までは活動することを宣言した。発表から約2年後に、休止は始まる。
なんて用意周到だと舌を巻いた。優しいだけで成り立ってるわけではないと分かっているが、それでも優しいと思う。残りの時間を応援してくれている人のため、そして事務所の後輩へ続けられる道を作ること注力を始めた彼らに茫然とするしかなかった。この発表までにも、散々長い時間をかけて悩んで話し合って出した休符を打つという結論に、こんなに完璧に事を進められるのか。
この事務所内に関わらず、別れはいつだって唐突で突然で、思いもよらないことが殆どな中、彼らはその結論までゆっくり歩を進めることを選んでくれたのだった。
私が好きな人の中には、もう本当に、二度と会えない人がいる。もうの年齢を私は越してしまった。そういう別れを経験した身にとって、彼らのやり方は優しかった。
しかし半分が過ぎて思うが、ゆっくりどころか爆速の勢いでこちらに様々なものをくれているので、それはそれで予想外でもある。
実は一度だけ国立競技場のコンサートに行ったことがあるのだけれど、もう一度行きたいと思った。休止報道から2日後にコンサートの申し込みがスタートした。絶対行きたかった。



コンサートの発表は3月だった。かなり待った、というより最早いつ申し込んだのか忘れていたのだが、妹から当たった連絡が入った。


「いつ?どこ?」
「札幌……平日……」


申し込みをする時、第一希望から第四希望まで選べるのだが、第四希望だけは枠がこれしかない。「いつでも・どこでも」。そして見事に第四希望が当たったのだった。
当たった瞬間に宿と飛行機のチケットを取った。とにかく取れないから決まった瞬間抑えとけと言われたことを覚えていた。
かなり先なのにちょっと絶望的な値段の選択肢しか出てこなくて、慄きながらチケットを取った。迷ってたらなくなる、と焦った記憶がある。飛行機だけで台湾だったら同じ泊数でホテルも飛行機も取れて遊べるだけ遊んでお釣りが来そうだな……と考えてしまいかなりめげたが、それでもほうたらかしていたら行くことさえ不可能な気がしたので泣く泣く取った。しかし楽しみだった。物心ついてから北海道に行ったことがなかったので、未知の場所へ行ける旅好きの気持ちも大きかった。


あっという間に11月になり、3日のデビュー記念日に更に様々な発表をした。以前からやればいいのに、と思っていたライブビューイングの決定が一番嬉しかった。全国520館、と言われて目眩がした。これは映画クラスタでないとぴんとこないかもしれないが、ディズニーの大作、例えばスター・ウォーズやアナ雪で、公開スクリーンはだいたい350スクリーンを超えるか越えないか、という規模である。たった一度しかやらないとは言え、500を超えているというのは普段観ている映画たちと比べるとやはり規模が断然大きい。私の愛する映画館でやってくれたらいいなと願っていた。
そして彼らはSNSを始めた。正直言うと、嬉しいが、そんなに見せて大丈夫なのか?という不安が少しある。隙間時間で撮影してるのは分かるが、どれだけ負担になっているか分からない。そんなに楽しんでやっているなら、それに越したことはないが。


そんな折に、これからの活動とは異なるルートからの発表が来た。
二宮和也の結婚報道である。
コンサート2日前のことだった。
SNSではかなり阿鼻叫喚といった様子だし、普段彼の話をしない人もつぶやいている人が多かった。政権がまた何かやらかしたり国会でむちゃくちゃな法案を通すためのめくらましなんじゃないの、と言ってる人もいた。正直私もそれに近いのではと思っていた。
お相手のことはなんとなく知っていたので、遂にか…長かったもんな…と思った。
その時の私のツイートがこれである。

めでたい!が先にきていた。非常に個人的な話題であるし、それこそ1人だけ脱退、とか、余命がいくばくかしかない、とか、もっと最低最悪なことに犯罪に手を貸していた、とかそういうことではなかったので、いやーめっちゃめでたいねおめでとう!というだけだった。もっと酷いことを言えば、正直どうでもよかった。だって私の人生にはあまり関係がないので…その選択をして彼が幸せならそれでいい。
もちろん、アイドルの結婚に対して辛い気持ちになってしまう人も少なからずいることを知っているが、そういう人たちを責めたりなんで祝ってあげられないの?みたいなことを言うつもりはまったくないし、思ってもいない。私は彼に対してそういう気持ちにならないけど、どうして…と驚いたり傷ついたりする人のことも知っている。本当にご自愛ください。誰ならびっくりして傷つくかなと思ったけど多分従姉妹とか妹とか友達しか浮かばなかった。なんでだろう。
ただ、正直心配な気持ちはあった。明後日に迫るコンサートで、彼らが、彼が嫌な思いをしなければそれでいいと思った。発表直後のコンサート、何があるのか分からない不安はあった。20周年が終わり、21年目一発目という記念の節にある公演だった。


札幌に着いて次の日の朝、東急ハンズで黄色い文字入りのうちわをつくってもらった。「おめでとう」とだけ書いたそのうちわを持ってコンサート会場に行った。数日前までうちわ作るなら何がいいだろうと悩んでいたのだが、「ご飯食べて」「元気でいてね」しか浮かばなかったのだが、伝えられるとしたらこれしかないと思った。何を、とは言わなくても黄色い文字で分かるだろう。20周年おめでとうという人も多かったし。そもそも、見れる距離にいるかわからないし。
コンサートの席は転売防止のためか、入場するその瞬間までわからない。事前に入場ゲートだけ教えてくれるのだが、札幌ドームに至っては、入り口が北か南か以外の情報は分からないのだった。
発券した瞬間、妹が凄まじく高い声を上げて飛び跳ねた。いい席だったんだな、と思ったら「アリーナだ!」と言う。そのままアリーナまで長い長い道のりをかけて札幌ドームの下の方へ進んでいった。細かい区分けもアリーナのゾーンへ行ってからじゃないと図がないので、更に確認する。もう一度高い声で妹が叫んだ。
結局、センターステージとバックステージの間の花道の外周、通路から3、4番目という恐ろしく近い席だった。私の席運の中でも歴代上位に食い込むのだが、当てたのは妹なので多分彼女の運だろう。


そこで観るコンサートは圧巻だった。演出は松本が務めており、そのまとめ方はすべてではないがかなり気にいるものだった。圧倒的な演出、歌、踊りが次から次へと手を替え品を替え繰り出されるのをすべて受け止めきれずにいた。知っていますか、人間の目は一対、二つしかないということを。もうどこを観たらいいのか分からないほどライブ好きなので沢山叫び沢山踊るのは慣れたものだったので、いかんなく発揮していたと思う。
ただ正直なところ、何が起こったのかあまりよく覚えていない。ぼたぼた泣いて泣いて泣いて泣きまくったことばかり覚えている。何かちょっとしたことで、懐かしい曲がかかったり、生歌の音や構成が、いちいち全部心の琴線に触れてはぐらぐらに私を揺さぶり続けていた。泣けてきて仕方なかった。正直こんなことになるなんて思ってもみなかった。彼らが5人揃っていることの奇跡を噛み締めていたのかもしれない。挨拶の時、嗚咽が口をついて出そうになって、そればっかりは抑えて泣いて、顔面が痛くて仕方なかった。でも悲しかったわけではない。彼らの覚悟に圧倒されているだけだ。悲しいとか寂しいとかよりももっと切なくて魂の根っこごとぐらぐら揺さぶられている衝撃に、涙腺が壊れていただけだ。


あと後ろの人が途中具合が悪くて座っていたことも強烈に印象に残っている。この人は「ニノ結婚おめでとう」といううちわを持っていて、始まる直前にそれを見つけて思わずサムズアップしたので気がかりだった。水を飲んでたら回復したようだったのでことなきを得たけれど、そうでなければスタッフを呼びに走ったかもしれないかと思うと、コンサートやライブやイベントはは万全の体調で行かなければならないなと決意を新たにした。
周囲の人は皆優しくて、楽しんでいたように思う。何事も私の知りうる範囲の中では起こらなかったので良かった、と終わってから思った。


コンサートだけでなく、真冬の寒さとなった北海道の旅行は大変楽しいものであった。フォロワーにいろんなことを教えてもらったお陰で満喫した。その節はありがとうございました。


帰ってきてから、ライブビューイングが当たり、しかも私の最も愛する映画館川崎チネチッタで観ることが出来た。ライブサウンドをやってるスクリーン12で!最高だった。ある程度冷静に観れた気がするが、挨拶でもう駄目だった。本音、という言葉を使いたくはないが、思わず出てきてしまったような大野の言葉が強烈だった。
そこで11月のこと、そして今年ずっと思っていたもやもやしていたことを全部吐き出そうと決めて今こうして書いている。


正直彼らを消費し続けることへの正解はまだ見えていない。Netflixのドキュメンタリーも怖くてまだ観ていないし…事務所のことは本当に嫌いだしもっと創設者の功罪の罪の部分にはマスコミも事務所もきちんと向き合うべきであると思うが。
ただ、これだけやりたいことをやれるようになった彼らが「ここまでは出す」と決めたことになら、残りの1年乗っかってもいいと思えた。その先は分からないけれど、現状は私のやり方で、彼らを愛そうと思う。恐ろしいほどにもらいすぎているから、返せるものなら返したい。5人が納得行くまで突っ走るのを、のろのろ見届けたいと思う。


f:id:ibara810:20191231235849j:plain
















私がずっとコンサートで聞きたい、と思っていた曲で、目の前に二宮和也がいて踊ってくれて、ぶっ倒れるかと思った。担当、というほどでもないが、5人の中で誰か1人を挙げなさいと言われたら私のお気に入りはこの人だ。ハイトーンボイス、器用貧乏、バラエティにおける立ち回りのうまさ、そして恐ろしく演技の上手い人。結婚おめでとう、どうか幸せに。