熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

反撃の狼煙が上がる(映画『スプリット』感想※ネタバレあり)

ティーチイン

初見はありがたくもジャパンプレミアのチケットを自力で購入して見てきたので、M・ナイト・シャマラン監督と主演のジェームズ・マカヴォイのティーチインつきだった。
参加できてとても良かった。シャマランが真摯でかわいいのと、マカヴォイの気の利かせ方がとにかく凄かった。
既に散々語られているけれど、マカヴォイが写真撮影が禁止だった会場で撮影OKにしてくれた瞬間は素晴らしかった。

「僕達がセルフィを撮る時、君たちもフラッシュを焚いて参加してくれないかな?そうすると星空みたいになって素敵なんだよ…もちろん君たちも写真を撮ってくれて構わないよ」みたいなこと言って会場が写真OKにしてくれたのも、実際に撮った写真が本当に光に溢れてて素晴らしかったのも、とても心に残っている。恐ろしいまでにスマートな人だ。

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(しかし突然の撮影OKのため、遠距離だとまったくピントが合ってくれない私の携帯Xperia XZではこれが限界だった…無念…)

 


さてティーチインの話はここまでにして、映画本編の話へ。
今回は初っ端からネタバレかっ飛ばしてるので、見たくない方はここで戻ってほしい。

 

 

 

あらすじ

女子高生のケイシーは、渋々参加した誕生日パーティーの帰りに、同級生の女の子2人と謎の男に誘拐される。
目を覚ますと3人は見知らぬ場所に監禁されていた。
誘拐した男と話をする別の人物に助けを求めた所、同じ人物に見える男がまったく異なる服装、喋り方で話しかけてきた。彼は多重人格者であることに気づく三人。
どうにかして逃げ出そうとするが……

 

感想

ひっっっっさびさに予習をしないことを後悔した。
今までシャマラン監督作を殆ど観てこなかったせいで、ラストのブルース・ウィリスにぽかんとしてしまったのだ。
予習しといた方がいいよ、と言われなくても観とけば良かったよ、本当に。そもそもネット上では配慮して誰も言ってなかったけど。(その配慮はとてもありがたかった)
でも知らなかったからと言って『スプリット』はつまらなかったのか?と問われたら、それは違う。めちゃくちゃ面白かった。例えば、予告を一切見ていなかったので、どうやって誘拐されるのとか全然知らなかった。だから、始めのシーンからとても緊張かつ集中して観られたことも幸いだった。
観終わってから、これは救済の話だと最初は思った。けれど、後日『アンブレイカブル』を観た上で、もう一度観に行って意見が変わった。これは「反撃」の物語であるということだ。

 

『スプリット』は23の人格の一人、デニスが三人を誘拐する所から始まる。相手は無作為に選んでいるわけではない。
後をつけ回すことは以前にやっていたとヘドウィグが言っていたが、実際に誘拐したのは恐らく初めてだ。以前にもやっていたなら、それこそ“群れ”と呼ばれている三人以外の人格が、医師に同じようなヘルプメールを出しているだろう。
作中で女子高生2人がわざとケヴィンの手を掴んで胸に当てさせた、という話をしているが、それがケイシーを除く誘拐した女の子たちだ。
彼女たちと接触があった時、ケヴィンの人格が誰だったかは分からない。彼女たちにとっては度胸試し、遊びの延長だったかもしれいないが、しかし彼にとってその行動は衝撃的だったろうし、れっきとしたセクシャル・ハラスメントである。その混乱の最中に、ヘドウィグが何らかの方法で「照明」を奪うことができたのだろうと推測される。そこから、元々人格たちの中でも疎まれていたパトリシアとデニスが台頭し、反撃に出るのだ。彼ら3人の“群れ”と“ビースト”によって。


そもそも分裂した人格たちは、主格であるケヴィンを虐待や外部から守ろうとするために生まれてきた。親からの虐待から逃げられなかった彼は、人格を引き裂くことしか出来なかった。それがいつしか超人的な人格である“ビースト”を生み出してしまった。
元々DIDが「患者」として扱われ、普通の人に比べて下に見られてたから「我々は人類よりもすごい存在なのだ」と世界に対して宣言をすることが“群れ”の目標になったのではないだろうか。ヘドウィグが何度も「見返してやる」と言っていたのが印象的だった。
それがこのセクハラ事件によって群れたちは“ビースト”を求め、迎えるための準備を始める。

 

ケヴィン・ウィグラム・クラムと彼の有する23の人格達を演じたのはジェームズ・マカヴォイ。私は以前からこの人のことを世界でトップクラスに演技が上手い人だと思っていたのだけれど、今回も遺憾なくその才能を発揮していた。実際演じていたのは24人格全てではなく、その三分の一である8人分だったが。ただ、バリーに化けているデニスという難役さえやっているので、9人とカウントしてもいいかもしれない。この人数が一本の映画で演じられる限界なんだろうか、と思いつつ、今後24人全員演じて欲しい。それくらい素晴らしかった。特にワンショットで人格が目まぐるしく変わっていくシーン、あれは本当に凄かった。喋り方と表情と動きでまったく違う人物が瞬時に浮かび上がってくる。本人の負担は凄いだろうけれど、ずっと観ていたくなる。

 

ここでもう一人の主人公、ケイシーについて話したい。演じているアニャ・テイラー=ジョイも凄い。僅かな、でも確かに滲んでくる強さの演技は圧巻だった。これからとてつもない女優になっていくと思う。

誘拐に巻き込まれた彼女は、他の二人と親しいわけではない。拉致されてからも、進んで協力しない。試行錯誤する二人のことを「無駄」と言い、デニスの掃除をしろなどの要求に、最初に従う。かと思えば、少女の一人が連れて行かれそうになった時「おしっこしちゃえ」という思いつかないようなアドバイスをする。
これは彼女が他の二人と比べて単に頭が良いからなのかなって最初は思っていたけれど、映画が進んでいく内にそれだけではないことが分かる。

挿入される父と叔父との幼少期の思い出。ケイシーが多重人格者の男に立ち向かえるだけの優秀な狩人であるという暗示かと思いきや、叔父に(恐らく性的な)虐待をされていたことが分かる。だから逆らっても無駄だし、刺激したくない。他の子が逃げ道を探そうとしてる時にしない。そして現実にいない時には、悪夢にうなされている。
ただ、実際彼女は優秀な狩人の素質はある。ケイシーは叔父に言うことを聞かされていたのと同じ手段で、今度は自分より弱いヘドウィグに対して攻撃に出る。
叔父がケイシーに言うことを聞かせようとして「お父さんに悪い子だって言うぞ」というような言い方をする。自分にとって絶対の存在にお前のことを脅かすぞ、と。そしてケイシーは「デニスとパトリシアが、本当は私達じゃなくて貴方のことを差し出すつもりなのよ」とヘドウィグに言うのだ。
他にも「内緒なんだけど」「あなたにはこっそり」とか、9歳の男の子が聞いたらくすぐられるようなワードを使うし、信じてる大人が本当は悪い人なのよ、みたいな言い方は子供にとって絶大な効果発揮するから、うまくいきそうになる。この辺りの彼女の駆け引きは引き込まれるし面白い。面白いと思うと同時に、彼女の遭ってきた境遇を考えて、やりきれなくなる。
最初観た時はケイシーの行動が腑に落ちない部分があったのだけれど、もう一度観ると、彼女の動きがものすごく説得力があることに気づいて震え上がった。僅かな視線の動きや、観念めいた表情も、理由が分かる。

 

そんなケイシーとビーストは最後に邂逅を迎える。狩る者と狩られる者だった二人は、ビーストがケイシーの身体に残る傷跡に気づいたことで、状況が一変する。
それは「虐げられていた者」同士の出会いだ。
ビーストというのはケヴィンを守るために生まれた人智を超えた存在だが、彼にとってはケイシーもまたケヴィンと同じ。だから彼は殺さなかった。 そして「喜べ」と言う。お前は他の者達とは違うと。生きていていいのだと。あれはビーストによる、ケイシーへの福音だった。
学校にも家にも居場所などない、望んで孤立していた彼女は、思いもよらない仲間を発見する。
涙を流すケイシーは、襲われなくなったことにホッとしているようにも見えるし、解放されたようにも見える。それはあの拉致監禁の状況もそうだが、今まで彼女を縛り付けていた虐待のことさえ、何か解放されたような気がしてしまう。

 

そして祝福を受けたケイシーは、今一度戦うことを思い出す。彼女はラスト、「叔父さんの迎えが来たよ」という警官に対して返事をせず、強く睨みつけるだけで終わっている。この後のことは描かれていない。彼女がどういう行動を取ったかは分からないけれど、叔父に対してただなすがままではないであろうことが予想される。これは彼女一人で立ち向かうかもしれないし、この警官に叔父がしてきたことを洗いざらいぶちまけて、保護されることになるのかもしれない。でも彼女はもう戦うことを諦めるという選択肢は、もうないのだろう。ケイシーはもう戦えるのだ。反撃の狼煙は、あの時に上がったのだ。決意の現れは、彼女の目が雄弁に語っている。

 

どうしようもない状況に陥った状態の人に、誰かが手を差し伸べる瞬間が物凄く好きなので、ビーストとの邂逅のシーンは、初回はとても混乱し、私はもう危機が去ったことへの安堵と興奮でめちゃくちゃになって、わけも分からずに泣いてしまった。もしかしたらケイシーも同じだったかもしれない(全然違うかもしれない)
色んな箇所で、この映画はX-MENを想起させる。分かり合える同じ立場の誰かと巡り会える瞬間や、超能力を持ち得ているかもしれない人間を越えた人間の研究などだ。また、ジェームズ・マカヴォイX-MENシリーズでプロフェッサーXを演じているし、今度アニャもX-MENの映画に出演が決定している。
また、精神科医であるフレッチャー医師の「ボルチモアの同僚」というところと、狩りをする父親と娘、奇妙な出会いをした二人のシンパシー、という辺りではドラマ版の『ハンニバル』のシーズン1も少し思い出した。が、こちらはまだ完走していないので印象が変わるかもしれない。

 

 

ところで面白いのはケイシーとビーストは、似たような境遇である一方で、相容れないであろうということ。
「不純な若者を食べる」というビーストは間違いなく犯罪行為である一方、ケイシーは今のところ犯罪行為はしていない(ビーストに銃を向けたのは正当防衛だろう)
また、彼女は分裂していない。ここで、ケイシーとビーストの道も分裂したのだと思う。
だからこそケヴィンはヴィランになり、ケイシーは恐らくそうはならない。
本当は、ケヴィンだっていっぱいいっぱいの筈なのだ。例えばデニスは、ケヴィンが3歳の時に生まれたと主張している。言われたことを「完璧」にこなそうとする必要があると感じた彼は、その通りにした。結果として、デニスは強迫性傷害を持っている。「完璧」でないと気持ち悪いのだ。

 

また、ジェームズ・マカヴォイによると“ビースト”はチーム・ケヴィン(いわゆる彼の人格達)の応援団長らしい。*1
そんな彼は殺人を犯しているが、どうも完全悪としては描かれていないように感じた。人間ではなく、高次元の存在として描かれていたからかもしれない。彼にとって捕食は生命活動の一環なのかもしれない。謎は深まっていく。

 

 

 

そしてこの物語は『アンブレイカブル』の続編ということが、ラストで明かされる。
ここで数々のただのシーンとして観ていたいくつものカットが、何か前作との繋がりがあるのではないかと思わせる。
特に印象的なのがビーストが生まれる場所である。彼は電車の中で覚醒する。『アンブレイカブル』も、電車のシーンから始まる。ここで『アンブレイカブル』の主人公であるダンは、自分が他の人とは違うことにはっきりと気づく。
電車に乗って、帰っては来なかったケヴィンの父親。もしかしたら、パトリシアが花を買って電車に供えたのは、父親もあのアンブレイカブルで起きた事故の犠牲者である可能性もある。

 

 

そして『スプリット』は『Glass』という新しい作品へと続いていくことも知らされる。
ここに私は、シャマランもまた反撃に出たのだと思う。同じ世界観を共有している複数の映画作品は、MCUシリーズをはじめDCEUシリーズとか、FOXマーベルユニバースとか、あとユニバーサル・モンスターズとか(これは違うか?)、色々出てきている。そこに15年の時を経て、シャマランが一人で乗り込んできたのだと思う。
『スプリット』の前身である『アンブレイカブル』もまたアメコミに大きく影響を受けている。また、Mr.Glassを演じているのは、アベンジャーズでフューリー長官を演じているサミュエル・L・ジャクソンというのも面白い。世界を救う組織の長だった彼が、悪役として再登場する。
この続編がどういう形で私達の前に現れるのかは分からない。分からないが、ダン(ブルース・ウィリス)も、Mr.Glassも、ケヴィンも、そしてケイシーも帰ってくる、とシャマランは明言している。
今一番楽しみにしている続編になった。2015年あたりから続編に期待するのはよそうと思っていた私が、今、こんなに続きを待ち望んでいる。彼女たちがどういう形で反撃してくるのか、全然予想がつかないし、恐らく簡単に驚かされてしまう。奇才、ナイト・M・シャマランの手によって。

 

 

一点、この映画の悪いところは「不純な」「若者」を食べる、と言っていること。ケイシーを[Pure(純粋)]と言い、そうでない子たちのことは[Impure(不純)]と称するのはあまりうまくないと思う。虐待をされているのは純粋な証なのか?目に現れない形であったら?
最後のビーストの宣誓とも取れる演説は、舞台がかった喋りになっていて、ジェームズ・マカヴォイが舞台で活躍しているからこその演技だったと思う。だからこそもう少しうまくできたと思うので、次回ではこの辺りが解消されていてほしい。

 

 

 

*1:ティーチインの時にそう発言していた