今日紹介する曲、どのタイミングが一番効果的なんだろうと思っていて、15日だろうと思っていたのだが、ちゃんとニュースをチェックしていればどう考えても12/10以外に有り得なかった。何があったかと言えば、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞スピーチである。まだそう日は経っていないので、そのことを思い出しながら聴いてほしい。もしもそのスピーチを知らない人がいたら、全文読んでほしい。
ちなみに読むのは苦手という方には、動画も貼っておく。
おそらく一番思想が強いと言われそうな曲だが、逆に訴えたいメッセージがないのにロックバンドやってる人には、なんでロックンロールやってんだ?と思うので、こういう曲を世の中に放ってくれてとても嬉しかったという気持ちを込めて書く。この姿勢がとても好きだ。
Summertime Blues Ⅱ
mini Album『Fuck Forever』収録。ライブでやったのも再現以外では殆ど聞いたことがない。私がいない時にたまにやっていることもある。
真夏の歌なのだが、フラッドの好きな曲を紹介するとなったら絶対に紹介したかった一曲。初めて聞いた時、めちゃくちゃ感動したので。
歌うというよりも語っている方が長いスタイルの曲。何度も繰り返される「サマータイム・ブルース」の後、音に乗せてボソボソと佐々木が喋っていて、サビになるとようやく歌う。フラッドの曲にはAメロなどで佐々木が喋っている曲がそこそこあるが、これもその内の一つ。私はこのスタイルが割と好きで、アルバムに一つは入っている。歌と語りの境が段々分からなくなる曲もあり、それもまた良い。
歌詞を読んでいくと、固有名詞と引用が多い曲である。この曲はいっそ分かりやすいだけで、他の曲も引用だらけなのかもしれないけれど。
この世に「Summertime Blues」という曲はたくさんある。エディ・コクランの名曲をはじめ、渡辺美里の「サマータイム・ブルース」など、最近では Hana Hopeも出していてびっくりした。
で、この曲は「Ⅱ」とタイトルにつけられている。歌詞でも最初の方に「いっそ許可のないⅡを作ることにしたんだ」と歌う通り、勝手な続編として聴くことが出来る。
でも、どの「Summertime Blues」なんだ?
おそらくネタ元は、歌詞に出てくる人たちである。気づいてないだけでもっと色々あるのかもしれないけれど。
一曲目は絶対これ。
エディ・コクラン『Summertime Blues』
1958年に発表されたこの曲は、10代の夏の憂鬱を歌っている。それもただ内省的でなく、社会に訴えかけたり国連に問題を持ち込もうとしており、社会問題にも目を向けている。
様々なバンドにカバーされており、後述するThe Whoもカバーしている。
サマータイム・ブルース
エディ・コクランよりボスに教わったっけ
「ごちゃごちゃ言わねえで働け」
搾取される方が悪いというシステムと暮らす2012年夏
ここでまず一つ完全にメロメロになってしまったのだが、資本主義をこういう形で批判しているのがあまり日本のロックシーンでやっていない中で聴いて最高にロックだと感じたのだ。(毎度のことながらもし資本主義を批判してるロックが日本にあれば教えてほしい)
実はこの『Fuck Forever』の他の曲でも資本主義に対して批判をしており、このアルバムを作った当時、かなり懐疑的な気持ちで音楽をやっていたのではないかと思われる。
そしてエディ・コクランの方でも、歌詞にボスが登場する。いわゆる上司のことだが、敢えてボスと表記しているのはこの引用からだろう。
サマータイム・ブルース
ピート・タウンゼントがぶっ壊したギターの破片
胸に刺されども刺されども 昔は良かったって死ぬまで言う気かよ1969年夏
ここに登場するピート・タウンゼントは前述したThe Whoのボーカルである。
1969年にコクランのSummertime Bluesをカバーした時にギターを壊したエピソードのことを歌っている。知ってる人からすれば当たり前の話だが、私のように全く知らない人間もいるだろうから記載しておいた。
昔への批判というか、過去への過剰なしがみつきへの批判があるのが好きな部分。
更に好きなのは続きの歌詞。
サマータイム・ブルース
問題はリバイバルよりサバイバル
手渡された時点でムチャクチャだったこの世界で
次は誰に何を手渡しゃいい ズタズタな頭で考えるこの世代で
ここ、めちゃくちゃ共感する。最早私もムチャクチャな世界をどうしようもないまま次の世代に渡してしまいつつある年齢に入ってきてしまったが、初めて聴いた当時はようやく成人したかしないかくらいで、大人としてどうしたらいいんだろう……と思っていた気持ちに共感していた。
サマータイム・ブルース
生かされてるんではなく生きてるんだと言える夏を君と探してる
壊れてなお希望のブルースの破片をあの子と歌えますように ララララララ
こんなに憂鬱で絶望的なのに、なおも主体性を重んじ、ムチャクチャな世界でも希望を歌おうとする所が好きだ。ロックの真髄だよ。大名曲だな……しか言えなくなってきた。
そして特筆すべきはここの引用。
サマータイム・ブルース
忌野清志郎よりばーちゃんに教わったんだ
「核などいらねー」 彼女の心はそれきり変わっちゃいない
1945年夏
痺れるぜ!!!!核に反対してくれるミュージシャンはそれこそ忌野清志郎はじめそこそこにいるので別に彼らが特別ではないのだが、歌詞でこうやってはっきり歌われるのは嬉しい。そしてこの部分は、もちろんRCサクセションの8月15日に発表した「サマータイム・ブルース」が元ネタになっている。(だから私も15日が良いかなと思ったのであった)そしてこちらの曲はエディ・コクランの「Summertime Blues」の音が使われているので、もう引用だらけである。
(ちょっと公式がないので紹介していいのか悩んだのだが…)
実はRCサクセションの方、随分前に演劇「福島三部作」で使用されている時にちゃんと聴いて、数年越しに「これ Summertime BluesⅡの元ネタの一つか!」とようやく気づいたのだった。痛烈な原発批判ソングであり、それを原発を誘致した当時の福島の町の話と掛け合わせていた演劇は素晴らしかった。(演出および作家が性暴力で訴えられていなければ再演を望んでいたが……)
歌詞を全部引用するのは流石に避けたいので、若干進んで次にいく。
騙されてたのと知ろうとしなかったのとは違う
向き合うのはいつも今の自分だから
サマータイム・ブルース
人類が何千年もメシ喰ってセックスして試行錯誤して辿り着いた
今日が世界で一番新しい「今」なんだ
ここも大好き。最初の二行、いつ聴いても自分の背筋を伸ばしてくれる。知ろうとしないことにあぐらをかかないようでありたい。
そしてずっと引用と過去の記憶や思い出を振り返りながらも、考えるべきは「今」であることを示してくれるのが、後半部分。人類の繁殖もそれはそれでシステムなのでは?とも思うが、今ここにいる自分たちに何が出来るのか?と問いかけられている気持ちになる。
「鳴り止まぬ夏のブルース」を私たちは聞き続けている。
ここまで書いておいてなんだが、最後に「新しい冬がやってきても」というフレーズがあるので、もしかしたら冬に聴くのが正しいのかもしれない。冬に夏の蒸し暑さを思い出すのと同じく、様々な「あの夏の記憶」を私たちは思い出した上で、「今」をどう生きていくべきかを考えたい。「新しい夏を探してる」ように、平和を探し求めたい2024年冬。
この記事は #afocの話をしよう アドベントカレンダーの15日目の記事である。