熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

魔法にかからなかった(『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』感想ネタバレあり)

ジャパンプレミアの2D字幕、その後IMAX3Dで、それから更に4DX吹替で観てきました。

まず始めに言っておきたいのですが、私は「ハリポタは人生」と言ってしまうタイプのオタクで、もともと映画など認めぬわ!というくらいの原作小説至上主義者でした。
今は映画も原作も大好きです。あんなに忠実で面白いままきちんとシリーズ最後まで終わらせたのが奇跡の作品群だと。
ちなみに現時点で『呪いの子』脚本、舞台、どちらもノータッチです。
そしてこの数年で「作品は好きだけれど、作者の価値観とは合わないな」と思っているマグルです。(とても柔らかな表現を使っています)
なので、こんな奴がなんか色々言ってると思ってください。

 

まず観終わった時に思ったのは、「原作を読まないまま『ハリー・ポッターと賢者の石』を観た人たちの感覚と同じものを味わっている」でした。今までの私は、原作を呪文や台詞やら片っ端から暗記していて、それがどれ位出てくるかとか観ているような子供(そうです第一作の当時は小学生だったのです)だったので、どんな物語になるのか、どんな場所や人たちが出てくるのか、まったく知らないままで観ているこの舞台のお話を楽しむのは初めての感覚だったのです。
これは貴重でありがたいな、と心の底から思いました。同時に、とても不思議でした。私の知らない魔法界があったんだなあって。 狂ったように読み込んで、隅から隅まで知ってるものと思い込んでいた。(大丈夫か?と自分で書いていても思いますが、終始こんな感じです。大丈夫です)
世界観は同じなのに、まるで知らない世界に迷い込んでしまって、出口がどこだか分からないまま呆然としていた、というのが一番近いかも。

ここからネタバレが入ってくると思うので、観たくない方はここでさようなら。

 

 

 

 

 

 

観終わった時に思ったもう一つのことが、これが面白いのか面白くないのか判断が出来ない…
というのが素直な感想でした。
なんだか、よくわからなかった。
感動した部分もあったし、わくわくもあったんだけど、なんか、なんだろうこれ?
私が観たかったのってこれだったっけ?

 

良かったなあ、と一番思ったのは、ジェイコブ・コワルスキーというマグル(ノー・マジ)の存在。
今まで何かしら魔法使いと関わりのあるマグルしか出てこなかったこの世界で、ちょっと関わっただけの、普通ならすぐに記憶を消されておかしくない人が、当たり前のようにあの世界に溶け込んでいたってどれだけ幸福なことなんだろう、と何度も思う。

「君は誰からも好かれるだろう」と作中でニュートが問いかけるシーンがあるけれど、まさにそう言いたくなるような善人なんだよな。聖人ではない、善人。
ニュートのトランクの中に入った時に、次々と出て来る魔法生物に対して驚きはするけど、次の瞬間には「うわー!素敵!」という反応をする。そこがとてもいい。なぜならあの世界のマグルは見慣れないものに対して、怯えて凶暴になる、という設定で話が進んでいくから。でもジェイコブはそうじゃない。
彼がこの作品で一番良かった。間違いなく、魔法使いと私達マグルを繋いでくれたキャラクターだった。

 

トランクの中、で言えばあのシーンは惚れ惚れしたくなりました。布で仕切ってあるけれど、くぐり抜けるとまったく違う気候になってたり、土地になっていたりするのは楽しい。拡張魔法があれだけ夢を見せられるのはよい。
あれに似たような気持ちは炎のゴブレッドの時の序盤のテントの中とかがまさにそれで、ちっぽけなものの中に無限の世界が広がっているのは素敵。

『幻の動物とその生息地』をあほみたいに読み込んでいたお陰で知ってる魔法生物が出て来る出て来る!
ボウトラックルもエルンペントもニフラーもデミガイズもいるー!
名前が出てなかったけどフウーパーとかディリコールもいるぞ!
ビリー・ウィグは見るたびに「フィフィ・フィズビ―(お菓子)の原料…」とか思っていました。
でも設定観て初めて気づいたんですけど、ヌンドゥがいることに気づいてのけぞりました。あの吠えると喉元がハリセンボンみたいに膨らんでるヒョウみたいなの、あれかよ…!というかヌンドゥをトランクの中で保護しているのは生物全滅する危険性ない?大丈夫?そもそもなんで先生は保護成功しているの?という疑問が沸いて未だに混乱しています(ヌンドゥは吐く息で人間の村を一つ絶滅させる威力を持つ)
(あとしょうもないことに初めてオブスキュラスを見た時、「あれレシフォールドじゃない!?」と思ったんですがレシフォールドの名前を思い出せなくてあれ?と思って一瞬勘違いしました。鑑賞後に名前調べてレシフォールドだった…違った…とがっくりしていました。レシフォールドは黒くて薄い布みたいな魔法動物で、寝ている人間にそっと覆いかぶさってそのまま食べてしまうという恐ろしい習性を持っている)

もう一人良かったキャラクターがクイニー・ゴールドスタイン。
天真爛漫で、でも人の心が読めるゆえに傷ついたことも多くあるのだろうな、という想像をさせるけど、そんなことお構いなしにこちらを魅了するキャラクターだった。
自分のことを理解していて、だからこそ機転が利いて、立ち回るのがうまかった。
すごく好きなキャラクターです。

あと、酒場のシーンが良かった…!
禁酒法ってマグルの法律だから魔法使い関係ないのでは?と思ったけど、ならず者たちが集まる酒場の雰囲気はとても良かった。
あの歌とバーテンダーと、壁に貼ってある懸賞金と、こういうハリポタではあんまり見せられなかったような、悪い大人の側面が見えるのはとてもいい。
ロン・パールマン演じるゴブリンのナーラックも、とても悪くてずるくて最高だった。
彼の出演作のパシフィック・リムと役どころが被っているような気はしたけど…

クリーデンスを演じたエズラ・ミラーはハリポタオタクであるということはもう広く知れ渡っていると思うけれど、決まった当初は、メインキャストは英国人だからアメリカ人ではなかなか出るチャンスがなかっただろうに、今回のシリーズで出れて良かったねと心の底から思っていました。是非グザヴィエ・ドランと対談して欲しい(ドランはカナダ盤フランス語吹替でロン・ウィーズリー役をずっと続けているに加えて、自身の腕にダンブルドアの台詞と顔を入れ墨に入れるくらいのハリポタオタク)

 

後はコリン・ファレルの格好良さが天元突破していた。
グレイブス長官最高!ありがとう!あの造形をコリン・ファレルでやろうと考えた人本当にありがとう!
史上最高の格好良さだった。作中で一番格好いいキャラクターでもあった。本当に惚れ惚れする。

 

映画の冒頭、始まってからのシーンがいちばん好きです。
わーっWBのロゴとヘドウィグのテーマで涙腺爆発!私今ハリポタシリーズの映画観てる!と思えたし、新聞と動く写真がイエーツのハリポタっぽい!すごい!とすごく興奮した。
そしてその興奮が冷めやらぬ内に映し出されるグリンデルバルドの後頭部カットーーー!ああーーーここ報道されてた写真のジョニデかっこいいじゃんうわーーー!
ここからニュートの旅まで移っていく、ここまでがとても好き。

 

残りは褒めていないしものすごく攻撃的になっているので、この映画が良かったなあ、と思っている人はこのままUターンした方がよいと思います。

 

 

 

 

主役のニュートとヒロインのティナが好きになれなかった…
ニュートは魔法生物の保護を目的としている割に、初っ端で孵化しそうなオカミーの卵を置いてった段階で「え、こいつ本当に動物大事にする気あるのか…?」と思ってしまって。
研究のために保護していて、愛情が行き過ぎている…というのはまだいいけれど、スウィーピング・イービルなんかは完全に便利だから使役してたように見えた。
ピケットをナーラックに渡す時も、きっと彼はこの後ピケットを救いに戻るのだろうけれど、その対策のようなことや算段がまったく取れていなかったので、これで別れたらそれはそれなんだろうな、という感じに耐えられなかった…
序盤のどんなに人に迷惑をかけたとしても動物は悪くない!という態度はまあ百歩譲って動物のせいでないとしても、その地域にいない生物持ち込んだお前が悪いのでは…?という気にもなってしまった…
ハグリッドと似ているなあ(年代的にはハグリッドがニュートに似ているなあ、だったと思うけど)というのが最初の印象として強かった…もっとねちねちこいつの性質はねーって調べるのが好きな学者っぽいイメージだったのが良くなかったのだろう、と思う。

あと中盤でテセウスという兄の話が出てきたけど、出来のいい兄とそんなに良くないはみ出し者の弟の話ってハリポタでも繰り返し繰り返しやってたけどまだやるの?JKRの好きなテーマだとは思うけど…

兄と弟、の話で言えばマグルの新聞社の息子たちマグルもそうでしたね。多分次回作出てこないんだろうけど何か兄に比べて弟は劣等感を抱かなきゃいけない法則でもあるのか?もうお腹いっぱいだよ!なんであんなモブまでに中途半端な物語もたせようとするんだよ!結局アレ出した意味あるの?

話がそれた。ニュートに関しては、何度か観ている内に彼には彼なりの考えや優しさがあることも理解は出来たけど、心からは好きになれなかった。

 

もっと勘弁して欲しかったのがヒロインのティナで、これは物語を進めるための仕様なんだとは思っても、一応マクーザ捜査官(闇祓い)なのに、なんであんなに無能なのか?という…騒ぐだけ騒いで足を引っ張って、どんどん事態を悪くしていく一方で、どうしてこの人はそもそも闇祓いになれたのか…?という疑問しか沸かなかった。
最初にニュートを連れて行く段階でも、もっと巧い伝え方があっただろうし(現に長官はティナのことを気にかけて後で話を聞きに来てくれている)(あの段階で彼はグリンデルバルドなので、自分に不利益があったら困ると思って動いているのだろうとは思うが、それでも細かいところを放置せず気にかけている、という点はきちんとしている)、その後の「私が監視しないと!」みたいなはりきりっぷりもいいけど、ジェイコブを家に連れ帰らせといて病気かどうかとか診もせずに食事にしましょうって流れになるのはなぜ…?その人具合悪いからって男子禁制のアパートに連れ帰ったのではないの?

他にも新セイラム救世軍を追っかけていく過程でクリーデンスを見過ごせない…というのは分かるけれど、そこまでティナがこだわる理由が全然わからなくて、作中でろくに描写されないのにはええーという気持ち…

しかも中盤ようやく会議で人に話聞いてもらえる段階で、あんなにニュートとジェイコブを晒し者のようにしたくせに、ニュートにトランクを取り上げられたことにごめんなさい…って所で唖然としてしまった。取り上げられるって、危険物として晒し者にしたくせに、想定しなかったの?真っ先に自分が危険な動物を持ち込んだから条例に反している!って散々言ってたのに同じ政府のメンバーに見せて何のお咎めもなしだなんて思ってたの?本気か?

最初にニュートが魔法動物についての本を書いているというのに「駆除の本?」とか言ってた自分のこと棚に上げすぎでは?本当に解せぬ。

 

無能というならピッカリー議長もほんとうに本当にひどくって、なんであんなにあんぽんたんなトップを描くのか訳が分からなかった…あんな微妙な役をよりにもよってカルメン・イジョゴに演じさせたのかマジで恨む…なんか設定的には賢いらしいけど映画に一ミリもトップに立つべき人間の要素が感じられなかった…

しかも1920年代のアメリカで!黒人のルーツを持った女性がトップってそれだけの実力が故にその位置に立っているだろうに!なぜ!あんなに!人の話は聞かないし何が大事かも分からないし指示も下手くそなの!よく従ってたよグレイブス長官は!
もしこれが2016年を舞台に描かれていたなら、どんな役者がポンコツなトップを演じていても怒りはしなかったけれど、舞台が1920年ですよ!?マグルの世界では女性参政権がようやく認められて、まだ公民権運動も起こってなかった時代ですよ?!未だに頭に来るしあのキャラクターを優秀であるというの設定のくせに典型的なダメな政府の象徴としてしか描かなかったことがもう本当に許せない…!

 


唯一格好良いー!と思っていたグレイブス長官は、まあ、グリンデルバルドになってしまうので…
というか最初のグリンデルバルドのカットからすぐ映るコリン・ファレルの後頭部、さっきのグリンデルバルドとまんまでは…?普段イエーツこういう撮り方しないよね?こういうドランみたいな撮り方…と序盤に思ってしまったのが敗因でした。
中盤でクリーデンスに死の秘宝のシンボルマーク渡す所でもう確定だけど、本当はグレイブスとグリンデルバルドは別人が良かった…
というか!あの正体の現し方が!ひどくない?あれ魔法の呪文で解けちゃうんだ…となりました…
それこそニュートのトランクにいる魔法動物の持っている力や羽根とか鱗粉とかの副作用で、真実を露わにする、とかそういう方が納得できた…
魔法で捕らえられないグリンデルバルドが、魔法生物でなら捕らえられた、という流れは良かっただけになんだかすごくもやもやした…
というかそもそも味方側についていて、しかも高い地位にいる立場の人間が、実は悪人でしたー!という入れ替わりの驚きネタって、炎のゴブレッドでもうやったじゃん…またやる…?
そもそもなぜ入れ替わる必要性があったのかが分からなかった。グリンデルバルドには何か意図があったんだろうけれど、いつからグレイブスと入れ替わってたのかが不明なので、彼の意図が見えないんだよね。それで入れ替わってたのは実は悪の総本山でしたー!ジョニー・デップでーす!びっくりした?って聞かれてる気がしたんですけどいやあそんな入れ替わりネタ前にもやってたじゃないっすか…何を今更…?みたいな気持ちにしかならなくて…
そして出てきたジョニー・デップがさあ!なんであんな白塗りっぽいの?!
いい加減に白塗りキャラは卒業していただきたかったんですが…あのビジュアルでOK出した人にも本当恨む…
グリンデルバルドは格好いいビジュアルのキャラクターって原作で言われていただけに相当ショック…全盛期も真っ青なくらいの格好良さを更新してほしかった…直前までいたコリン・ファレルが最高に格好良かっただけに、もう何重にも叩きのめされた…
ここ数年あまり調子がいいとは言えなかったジョニー・デップの復帰作になるのでは、と期待していただけになんだかビジュアルも微妙だし、なんか「覚悟はいいか?」とか言ってるけど何をしでかそうとしてるか見えなさすぎて「えっこいつ何いってんの?」としかならんかった…
なんか、小物感が凄いんだよ…ヴォルデモートに比べれば、その前の時代の人なので当然やらかしてる事もヴォルデモートの方が邪悪なので、それより抑えた悪役になってしまうのは当然なのだけれど、なんだか小物臭が凄かった…グリンデルバルドに夢を見ていた私を返して…
グリンデルバルドとヴォルデモートの違いがあるとすれば「愛」に理解があるかないかって所で、そこはクリーデンスを漬け込むのにうまくやっていたとは思うのですが、演じていたのはコリン・ファレルですね、という…
次回も観るけど期待したのが間違いだったなあ…

 

ここまで散々なことを言ったけど、一番私に取って致命的だったのは、この映画「格好いい大人」がほぼ皆無なんですよね…
ハリポタシリーズにはいたんだよ。マクゴナガルとか、ルーピンとか、シャックルボルトとか、テッド・トンクスとか…勿論彼らはハリーの視点から観ているので、もっと葛藤があったり格好悪い部分も沢山あっただろうとは思うけれど(ルーピンはその辺も描かれてたね)
そして私はファンタビを「主人公が大人だからこそ、格好いい大人が出て来る」と期待していたんですよね…
でもニュートもまだまだ未熟だったし、ジェイコブやクイニーがギリギリ…?
一番格好良かった(何度でも言う)グレイブス長官は、中身がアレなのでノーカウントです。

 

他にも色んな箇所で、これハリポタシリーズの焼き直しでは…?
と思う箇所があまりに多すぎて、うまく乗れなかった…
試写会しか観ていない段階で感想を読んでいたら「ハリポタファンなら絶対楽しめる!」という言葉が散見されてたので、期待してしまった、というのが一番良くなかった…
全然楽しめなかったファンもここにいたよ、という話です。
いや面白かった部分もあったよ…あったけど…がっかりがあまりにも強すぎた…
でもキャラに萌えるのは分かる…Gredence萌えるよね…

 

最初に観た時、この作品は「かつてハリー・ポッターシリーズを観て楽しんでいた人たち、特に当時子供だった、今大人になった人たちへ」向けて作られた気がしたんですよね。
今子供向けというには暗い要素多すぎない?と単純に思った。
でも大人向けにしては、ちょっと大人を馬鹿にしてない?いや騙されないよ?とものすごく威嚇してしまったんだけど、三回観て「あっちゃんと子供向けに作ってある…分かりやすさとか親しみやすさとか…」となんとなく納得してしまった。ただ、今回はもうこのシリーズに100%魅了されなかったなあ…という他人事のような感じがしていました。
むしろ今までが自分の中に取り込みすぎて他人事でなくなっていた方がどうかしている。

 

これだけ言ってますが次回作はもっと違う場所で、また違う話になってくるとは思うので、見届けるつもりではいます。
もうそろそろこんなに愛憎入り混じりすぎておかしなことになっているから、もっと楽に観たら良かったのにね。
これは私が思った感想なので、間違ってこの映画が好きなのに最後まで読まれてしまった方は、なんだかとんでもないやつがピーチクパーチク言ってたなと思って脳から速やかに削除するのが一番幸せだと思います。

 

 

 

これから『呪いの子』読む方が百万倍自分がおかしくなりそうで今から怖い。




追記:一箇所名前を間違っていた所があったため訂正しました。指摘くださった方ありがとうございます!