「期間限定」に弱い。飲食店で見つければ頼みがちだし、人からおすすめされたものも配信期限残り3日だよ、と言われたら観ることが多い。現に今日、一週間限定ですよと言われている映画を観に行くか…という気持ちになっている。
そんな期間限定の中でも、今日までという期限ギリギリなものを紹介する。私もずっと積んでてやっと読んだのが昨日だったので、ギリギリなのは仕方ない。Twitterでもおすすめしたのだけど、それだけじゃちょっと足りないなと感じたので、ブログにした。
ライターでありアナーカ・フェミニストである高島鈴と、映画監督の金子由里奈の往復書簡である。同い年の二人は、かつてルームシェアメイトだった。今もよき友人であることが書簡から伺える。去年の10月から始まったこの往復書簡は、29歳になったばかりの二人が日頃から思っていること、ふと思い出したこと、そこから派生した相手への質問とその返答、お互いへの労りと友愛、この世の美しい一瞬などが取り留めなく綴られている。すみませんが最初から最後まで敬称略です。ちなみにまだ7通目までしか公開されていないので、頑張れば今日中に全通読めるとは思う。
高島鈴の文章は、なんだかとても親近感がある。私の知りうる中でも最も賢い友人たちを思い出す文章なのだ。勉強に裏打ちされた、真面目で巧みな文章を紡ぐ人だと思う。この人の文章は読みやすいのにいろんなところへ飛んでいくパワーもあり、でもそこまで脱線した感じもなく、まとめあげていてうっとりする。この文章は友人に宛てた手紙なので、他の場所で書いている学術的なものよりずっと開かれているように感じる。日常のつぶさを掬い上げるのもうまい。特に一通目の友達との別れ際の話、あまりにも身に覚えがあったのもあり、ずっと心に残っている。情緒の危うさについてもこの書簡の中で触れているけれど、彼女の文章には正しく情緒がある、と思う。
金子由里奈の文章は、親しみやすさがあるのに、同じ景色を見ていたと思ったら、どっかすごい遠くの方を見ていたんだなと教えてもらうような気がしている。視点が全然違って、その捉え方が自分にはないもので面白い。かと言えば一緒にいるような錯覚を起こしてしまいそうになる瞬間がある。不思議な距離感のある文章だと思う。金子と言えば、映画ぬいしゃべこと『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の監督で、これも時折全然違う視点を見せてくれる、とても好きな映画だった。
双方が互いの文章を褒めているのだけれど、その褒め方というのが、本人たちの紡ぐ言葉の美しさと、しかし双方が全く異なる方向性なのが浮かび上がっており、そして極めて好きなので、どちらも引用して紹介したい。
まずは三通目の冒頭、高島が金子の文章を褒めている部分。
お手紙ありがとう! なんだか偉そうな感想だけど、金子って見るたびに文章がうまくなっていって、しかもそれが私には書けないと思っちゃうような方向性の凄みを伴って進化しているから、いつもハッとさせられます。今回も読みながら「こう書く自由もあるんだ」という気づきがいっぱいあって最高だった。そういう、「書くことの自由」を見せてくれる文章が私は大好き。自分の持っている「型」を取っ払ってくれるような気がするから。金子の文章で言うと、「これ文章としては比喩として解釈される種類の表現だけど、金子の中では何も比喩じゃないんだろうな」と感じられる表現の豊かさ、美しさにはいつも惚れ惚れしちゃう。普通に見習いたい(真似しきれないけど)。金子には金子にしか分からない大切な経験の蓄積があり、それがあなただけのエクリチュールになっているんだな、と伝わるところ、とても素敵です。
続いて、先ほどの返事にあたる四通目で金子が書いていた高島の文章を褒める文章。あまりにも的確でいて、それでいて他の人からは全く出てこないような語彙を用いていて、めちゃくちゃ痺れた。こちらも引用する。
りんちゃんに文章も褒められるのかなり嬉しい。なんか、一緒に住んでた時、編集さんをたくさんやってくれたね。書けないーうおーってなってる時、超実践的なアドバイスくれた。それからりんちゃんは「金子が今言ったことが面白いからそのまんま書けばいいよ」とよく言ってくれた。りんちゃんの文章にいつも魂を揺さぶられていたから、あなたに頷かれたことが書く勇気の始まりだったよ! ありがとう。
書けば書くほど指がどう動きたいのかをキャッチしやすくなったのが最近感じてることで、書くことがどんどん楽しくなっている。というのはわたしにとって、考えることが楽しくなっているということで、書く場所を与えてくれた皆さんに感謝。点滅社さんもありがとうです。書くことは通路作りだと思っていて、知っていたはずの場所を違う高さから見て、あの建物からあんなヘンテコな影が伸びるんだ! とハッとすることがよくある。りんちゃんにとっての書くという行為が死後も足掻くためにあることが聞けて納得だよ。りんちゃんの論考が載っている、「療法としての歴史〈知〉──いまを診る」を振り返っても(この文章大好きでよく見返すよ)、りんちゃんは人間が一人ひとり絶対的な他者であるということをつぶさに見る虫眼鏡を持っていて、眼差しの流動性を理解している。社会や権威がつくる「規範」の水槽で苦しい誰かを、りんちゃんの文章が息継ぎさせてくれる。なんか、あなたの書く文章はずっと動いている文章っていうか、言葉なのに固定されないのが不思議だ。もがいて捩れてわたしを掴み続けて、それはわたしたちが死んだ後でもそうなのだと確信している。かっこいい。わたしもそんな映画を作りたい! 死後も固定されない、フレームが揺らぎ続ける映画を撮ってみたい。
比べてみると、本当に全然違うのだけれど、どちらも互いにしか書けないような魅力に溢れていて、「す、すげ〜〜〜〜〜!!!!!」という気持ちになる。どうしてこんな素敵な文章を読んだ感想がこんな雑なまとめにできるんだ己よ、という感じだが……
引用したい文言がしょっちゅうあるので、結局「全文読んで…!!!!」としか書けない。どちらにも惚れ惚れしている。
再三申し上げるが本日までなので、どうか機会を逃さないようにしてほしい。もしかしたらまとめて書籍になるんだろうか。そうだったらぜひほしい。全く会ったこともない知らない人たちの手紙のやりとりが愛おしくなっている他人からのレコメンドでした。
ちなみに高島鈴さんは5/3にゴールデン街のバーでカウンターにいるらしいので、読んだ感想を直接伝えたかったのだが、どうしても外せない用事があったためブログにて記載しておく。本人のTwitterアカウント見ると詳細あるので調べてみてほしい。