熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

退職しました

私的には大したことなんだけれど、巷で見れば大したことではないんだけとも、せっかくはてなブログ持ってるしな、という訳で退職エントリを書く。


1年8ヶ月働いた会社を退職した。
退職したと言えば聞こえはいいのだが、私は派遣社員だった。そして契約を次はしないと言われたのだった。要は派遣切りだ。
理由は産休の人が帰ってくるから…ということだったのだが、産休の人がしていた仕事と私の仕事はぶっちゃけそんなにかぶってはいない。私は事務系だったけど、今後はその人が行うので、ということだった。
正直なんで、と思った。指定された業務は勿論、以外のことも多くこなしていたし、自分で言うのもなんだが割と重宝がられていたとは思う。いない人の代わりをそれこそかなりやっていた時期もあった。


しかし、冷静な頭では仕方ないだろうなというのも分かっていた。covid-19の影響は年明けからかなり受けていた。
海外との連携が多かった会社なので、受ける仕事の量がガクッと減っていたのには私も気づいていた。
その証拠に、私以外の派遣の人も同じような状況になっている。急に契約ストップ。その人のことを案じつつ、ちょっとだけ、私と同じような状況の人がいて安心してしまった。辛い目に遭ってるのは私だけじゃない。
今いる人も危ないとちらりと聞いた。もしかしたら最悪、未来には会社ごとなくなっているかもしれない。全然そんなことは分からないけれど。


3月半ばからとても辛かった。急なことでショックだったのもあるし、ガタガタと社内の環境が変わっていった。
4月末まで、と言われてからすぐにリモートワークに切り替わった。
社員は全員自宅勤務になった。私を除いて。
どうしてもシステム上の問題で、私はリモートワーク出来ないと言われた。出勤するか自宅待機かを相談された。出勤を選んだ。殆ど人がいないオフィスは、実のところそれはそれで居心地は良かったけれども、社内で自分だけが感染リスクが高い状態にいるのが理不尽に思えて仕方なかった。まあストレスだった。私の仕事自体は、リモートワークも可能だったのに。
毎日電車に乗る前、出来るだけ人が少ないようにと祈っていた。出来るだけ出なくていい人は家にいますようにと。わがままだな。
正直今、とりあえずは暫く電車で通勤しなくて済むことに一番ホッとしている。

4月の後半は、毎日人とお別れの挨拶を繰り返していた。皆来るのは今日で最後だと。多分最後を2週間くらい繰り返して、誰に挨拶して誰に結局会えなかったか分からなくなってしまった。


シットコムの舞台になりそうな小さな会社だった。
今までいた会社の中で一番規模が小さかった。
お陰で直接一緒に仕事で関わらない人とも全員と面識があったし、よく話もした。
飲み会が全然なくて本当に楽だった。
世代が偏ってて、だからこそ干渉してくるような人がいなくて心地よかった。
自分の仕事は正直他の人でも出来る仕事だったが、楽しく過ごせたのは間違いない。


最終日だった今日、相変わらず人の少ないオフィスで、社長から小さな花束を頂いた。
実のところ挨拶だけでおわりだと思ってたので意外だった。
何度も「縁があればまた一緒に」と繰り返していて、やっぱり重宝されてたかなと傲りそうになった。
いやでもこの会社で派遣に花束送るの見たことない正直。
戻りたいかと言われると「ケッ、この時期に放り出しといて何調子いいこと言ってんだよ」という気持ちの方が強いのだけれど、もっと良い待遇になるなら考えますねという気持ちもある。
とにかく過ごしやすかった…風通しは良かったと思う。
困ったことは相談しやすかったし。サクサク解決することの方が多かった。


しかし戻りたいというよりはもっと色々やってみたいの気持ちが今は強いので、ちょっと休んだら何かしら挑戦してみたい。
体壊してガタガタになった後、ぼそぼそ時短なら働ける…と思って派遣で働き始めたけど、その当時に比べれば随分元気になった。
とりあえず前向きな気持ちにちょっとはなれたかな、という今の正直な気持ちを書いておきかたかった。
健康に仕事がしたい。
とりあえず体調崩さないのと、政権批判を強化します。
そして暫く外に出ないと思ったのでとりあえず献血に行って4月はおしまい。

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