暫く時間があるので、家の中のものを減らしたいと思った。
断捨離というほどの立派な思想は持ち合わせていない。私はヨガも嗜むが運動法の一種として捉えているので、本気でヨガという思想に取り組んでいる方には不真面目かもしれないが、そこまで賛同できないことも多いので…
しかし、部屋のキャパシティに対して、とにかく物が多いということは痛感している。
そして、それに対して「片付いてない」とモヤモヤしていることも。
いわゆる脱いだものを放りっぱなしとか食べた後のものを残しているとかそういうタイプの汚さではないのだけれど、なんとなく雑然としている部分が多い。
しまい方も悪くないことが多い。
衣服の収納でよく見る「立ててしまえ」とか物心ついた頃からやっているので収納方法にこれ以上のコツが見出せない。なので溢れている物の量を減らすしか選択肢がないのだ。
そういう訳で減らしたいのだが、いまいち「もったいないおばけ」が邪魔をする。
「それまだ使えるのにね」
「役に立たないわけじゃないし」
「今あるものを使って減っていったら使えるよ」
などという声がもうさっぱり捨ててやろうという私の行動を妨げる。
基本的にストックがないと怯えるタイプなのが、これらの内なる声を補強しているとは分かっている。理性では分かっている。
私が本当になくなって困るものは処方箋なので、それ以外なら殆どのものはどうにかなるとは思うのだが、どうにもこうも安心出来ないのだ。
これは普段荷物が多いのも、この有事に備えたいという心配から発生している。
荷物の少ない人が羨ましいが、あれは心身共に健康じゃないと出来ないと思っている。
そんな調子で地味にダメージを自分に与え続けている。
私が取るべき手段は二つある。
一つは「ええいままよ!未練や不安ごと全て捨てるのじゃ!」とドカドカ今使ってないものなどを全て捨てること。多分すごくスッキリするし、恐らく罪悪感は長続きしない。人間、忘れる生き物だしな。それどころか「あの時思い切って色々捨てて良かった」とまで思うかもしれない。
もう一つは「いいじゃん荷物が多くても死なないし。なんなら今の状況だと買い物もままならないんだからそのままでいよう」と開き直ること。諸事情により家に人を呼べないので、家族のスペースさえ侵さなければ別に問題はないのである。
ここんとこ家にいることが多いのと、ごちゃごちゃしたものが目について勉強したりするスペースをうまく作れないので、片付けている人を参考にしようとネサフした結果自分の体のサイズに合った机と椅子が欲しくなったのとでしっちゃかめっちゃかになっている。
私もオタクなので、こんまり導師の教えはあまり響かない。
全部ときめくし手放したらもう二度と手に入らない物が多過ぎて、ふんぎりが全くつかない。
Netflixの番組を観るのは大好きなんですが。
あれ早くシーズン更新して欲しい。
別にこんまりさんが色々売り出し始めても特に買わないのでSparkle Joyさせてくれよ!
最近読んでちょっと響いたのが池田暁子さんのこのコミックエッセイ集。
思考回路がかなり似ているので参考になりそうな部分がちょっと多かった。
何かあるとフリーズしてどうでも良くなってそのまま別のことやり出すとか…
これが普通なのか、それともある一定の人だけにしか起こらないことなのかが分からないなと思いながら生きている……
あともう一つ私的にすごく苦痛なのが、「ただ捨てるのはもったいない」という思考。
売ったら多少はお金になるのでは?と思ってしまうので、古本など宅配買取をしている所へ送ろう、と思うものの、どこに送ったら一番いいかみたいなことを延々と考えて結局様々なものが入っている箱は部屋にずっといる…みたいな状況がずっと続いている。
メルカリなどのフリマサイトに出しても、結局私の手元からすぐに全部がいなくなるわけではないと気づいてしまって、出品する意欲が失せている。
仕事だと発想なんか毎日のようにやっていたのに、私事になった途端に出来なくなるのは何故だろう。まあヤマトと法人契約してないからです…
そんなこんなで片付けは全く進んでいないのであった。
友人と通話してると「また片付けしてるの?」と言われることが多いのだけれど、片付けても片付けてもも物は移動し、そして私はふんぎりがつかないままである。嗚呼。
家でもまだ片付いている方のスペース。
映画のパンフレットでギチギチになっている。
一方、全然片付いてない方のスペース。
全部映画のポスター。一度も開けてないままのものがかなりあるし、ポスターの中に更にポスターが入っている……