熱に羽化されて

好きすぎてこじらせたうわ言や思考の整理など

ハッピーマンゴー

友人がこんな記事を書いていた。

sasanopan.hatenablog.com


桃の香りを嗅いで、食べたくなるいい記事だった。桃のあの丸いフォルムが恋しくなる。相葉雅紀が幼少期に頬擦りしたくなる気持ちも分かる*1
果物全般が好きだ。食べることが好きな私の、大きな部分を占めている。フルーツ味のお菓子やアイスも好きだが、やっぱり生で食べるのがいい。夏から秋にかけては果物が豊富なので、それだけで嬉しくなる。特に今、私を幸せにしているくだものについて書きたい。


先日コストコでマンゴーを買った。8個入りで1000円ちょっと。近所のスーパーでは考えられないほどの破格である。
普段、マンゴーは身近に買って食べない。マンゴー味のアイスとかパフェは見かけたら頼みがちだけど、果物そのものを買って食べる機会はなかった。予算から大幅にはみ出る。それでも今年は、半額で叩き売られていたタイマンゴを買ってそれで満足していたのだけれども、これは幸せをそのまま購入したようなものだった。

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大振りの、既に熟れている実は片手で持つとずっしりと重たい。買った時はもう少し緑を帯びていたのが今は追熟して赤みが増している。マンゴーには太陽のタマゴと言う種類のものがあるが、これは何かはよく知らない。知っているのは、メキシコの太陽を浴びていたことだけだ。

マンゴーを剥く時は、真ん中の種を見越して三つに分ける。ちょうど魚を三枚おろしにするのと似ていると思う。種が含まれてない両端は、そのまま皮を剥いて適当な大きさに切って家族に振る舞う。
そして、この真ん中の部分こそ、剥いている人の特権である。適当な端から皮を千切って、種の周りの果肉にかぶりつき、これでもかと言うくらいにしゃぶり尽くす。切れ目を入れた瞬間から溢れている果汁が、持ち上げて齧りつくたびに指から零れ、手のひらを通り越して肘まで伝ってびどびどになる。ああ勿体ない、の気持ちが勝つと、行儀悪く腕を舐めたりする。かじっていく内に、果肉が減って繊維ばかりになっても、歯で何度も噛んでは吸い尽くす。マンゴーは、こんなに意地汚く食べてしまうほどの魅力を秘めている。単に私の食い意地が張っているだけの可能性はちょっと置いておく。


マンゴーは不思議な果物だ。みずみずしくて、切っただけでも止めどなく果汁が流れていくのに、果肉は全く水っぽくない。むしろ水を飲みたくなるような甘さが先に来る。濃厚で滑らかな舌触りだが、一瞬の内にいなくなってしまう。例えば桃ならもう少しみずみずしさが勝って、しかししっかり甘みも感じられるが、水分が欲しいとまでは思わない。けれど、バナナみたいに水分が全然感じられないようなタイプの果物でもない。ねっとりとした甘みとジューシーさを兼ね備えた、希有な食べ物である。


果物には様々に加工した食べ方があり、マンゴーも例に漏れないが、どうしても生でそのまま食べるのが好きだ。これはマンゴーに限らない。
果物のジュースも好きだ。特に濃縮還元ではなくストレートの100%果汁のジュースは最高だ。マンゴージュースも好きだが、ジュースならグァバの方が好きだ。
白ワインに漬けてマンゴーサングリアにすれば良かったと後から気づいたが、気づいたら漬けるほどの量はもう残っていなかった。ああ、至福の時は終わりが近い。


そんな私の先日のおやつがこちら。

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桃、嬉しいね。

*1:相葉マナブにて、幼少期に桃があまりに可愛くて頬擦りして痛めたエピソードを先日話していた

髪の毛一本たりとも関係ない

先日、髪を切った。約三ヶ月半ぶりだった。
普段ショートカットが常の私だが、前回切った時はあまり長さをいじらなかった。
そのお陰で、切りに行く頃には肩に髪の毛がつきそうなくらいの長さになっていた。これは、私の基準で言えば「とても長い」に当てはまる。
ここ2、3年はワンレングスの前髪に前下がりのショート、たまにサイドや後ろを刈り上げていたのだが、今回は暑さ対策として新しい髪型に挑戦してみようと少しだけ思っていた。

やりたかったのは、映画『二ツ星の料理人』の登場人物、エレーヌの髪型である。
予告に出てくる、リクルートされたり出て行けと言われたりする料理人の女性だ。 

 

youtu.be

この映画は、主人公が才能はあるがどうしようもないろくでなしで、一度は自分の店を壊して全てを失ってしまう。そんな彼が一から奮起して三ツ星レストランを目指す話である。
人間は支え合いが必要なことを描いているのと、プロフェッショナルの仕事っぷりと、美味しそうな食事が沢山観られるのでとても好きな映画だ。怒鳴り声が苦手な人はちょっと注意が必要。
Netflixにあるので、時間のある時にどうぞ。

www.netflix.com

 

話を元に戻す。
私が参考にしたエレーヌは、髪の毛を下ろしていれば長めのボブっぽく見えるのだが、髪を結ぶと後ろが刈り上がっているという、あまり見ないスタイルの髪型である。想像出来なかった人は、先程紹介した予告を見て欲しい。
これはただ単にショートカットにするよりも絶対涼しい。結んだ方が涼しいと聞いていたが、更に後頭部の下の部分に髪の毛がなければ更に涼しいだろう。
しかもパッと見は刈り上げとは分からないので、TPOに合わせて髪型を変えられるのも魅力だった。特に今髪型にどうこう言われるような環境ではないため、好きに出来るのだが。

ただ、髪の量によっては結べないこともあるだろうと思って、出来なかった場合はいつも通りのショートカット、でもそれもいつもよりうんと短くしてやろう。そう思いながら美容院に行った。
私はいつも切りたい!と思ったらもうその日か次の日には切りたいと言う面倒くさい衝動に襲われるタイプのなのだが、徒歩で行ける近所のかかりつけは、最近は混んでいるから少なくとも1週間後と言われた。人数制限をしている中、緊急事態宣言が解除されたので予約がひっきりなしに入るのだそうだ。
大人しく1週間待ち、ようやく当日を迎えた。いつもの担当の人に実際に写真を見せて説明をしたら、「うーん…」と言うので、ああやっぱりちょっと長さが足りなかったかしら、と思っていたら、予想外のことを言われた。

 

「ちょっと個性的過ぎるけど、良いの?」

 

「はい、問題ないです」と間髪入れず即答した。まさかそんな答えが返ってくるとは思っても見なかった。この人は今までも私が刈り上げてくれ、とお願いした時にもほんの少しだけ、何度も確認されたことがあった。が、それはまだ私が通い慣れていなかった頃の話である。
「この辺りだとそういう髪型の人はあまりいない」とも言われた。百も承知である。けれどそれは私にとっては何の問題もない。人の目を気にして自分のやりたい髪型をしないなんて、馬鹿げている。
この髪型だと後で修正があまり出来ないから、本当にやる?と尋ねられて、なかなか始められなかった。
リスクに関しても分かっていると話した。気に入らなければ単なるツーブロックにして貰えば良いと思っていたのだった。
結局お願いした髪型にしてもらうことになったが、後ろの刈り上げもハサミでやろうとしたので、いやバリカンで、とお願いした。ハサミで刈り上げる方が、シルエットが丸みを帯びて綺麗なのは知っている。しかし私が求めているのはそれではない。なんなら形は見えないことの方が多い。涼しさなのだ。出来るだけ刈り上げは短くするに限る。
しかし、バリカンも一番長く髪が残る設定でされたので「いやもっと短く」「すみません3mmでお願いします」と繰り返していた。どうせ1週間も経てば6mmにも9mmにもなるのだ、頼むから短くしてくれと言うオーダーを繰り返すのは時間の無駄ではないだろうか?
結局、切り終えたら「あ、結構良いな」と担当の人は言った。
ほらーーー言わんこっちゃない!!!と心の中で叫んだが、口にはしなかった。
普段よりちょっぴり疲れて美容院を出た。担当の人は映画が好きな人なので、普段は色々映画の話をするけれど、その日はあまりしなかった。

 

美容院で言われる「女性らしいシルエット」みたいな表現が嫌いだ。
私の自認は今のところ女性だが、「女性らしい」と言うものの規範に収まるかどうかは私が決める。
勿論、今はもうちょっと丸みを帯びた髪型の方が今は良いな、と思う時も10年にいっぺんくらいはあるので、それが世間一般で言うところの「女性らしい」に当てはまることはある。けれど、私がやって欲しいと望む髪型を示す時に「女性らしさ」と言う言葉は使ったことがないし、そこはお願いしていない。「可愛くして欲しい!」とお願いして、それに合わせてやってくれるのはありがたいしやったこともある。
けれど、望んでいない時に余計なオプションをつけないで欲しい。
美容師さん達は、勿論プロフェッショナルなので「こう見える」ことに対してきちんと見てくれる。
流行りの髪型などもあるので、それを個人に落とし込むのもとても上手だ。
けれど、お願いだからあまり見ない髪型だからって拒否しないで欲しい。人と違うことに怯えていない人に対しては、そんなにブレーキをかけなくて良い。

 

話は変わるが、先日大学生の従姉妹とテレビ電話をした。大学がオンライン授業になり、バイトも出来なくなっていたので、緊急事態宣言が始まる遥か前に実家に帰っていたのだった。
しばらくぶりに話す彼女はずいぶん髪が伸びていた。
「髪でも染めようかな」と言うのでどう言う感じにしたいのか、貴方ならこう言うのも似合うかも、みたいな話をした。すると、彼女はこう言った。
「でもね、この辺りだと金髪にしただけで不良になったの?って言われるからちょっと難しいんだよね」
たかが髪の毛なのに、と思ったがまあ向こうの、本人と言うよりも住んでいる地域に関しては様々な事情があるので何も言えず、「そうだよね」と同調して終わった。果たして同じ立場におかれたら、私だってちょっと躊躇するだろうと思った。まあ躊躇した後やりそうなんだが……

 

どうして人の髪型や髪色に対して、驚くほど文句をつけたり変な目で見る人が多いんだろう。
ここ最近も、「ツーブロック禁止」と都立高校の校則が話題になっていた。

https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/two-block-hair-style-school-rule

ある程度のTPOはある(私のこの言葉も既に曖昧だが)が、危険に巻き込まれやすいとはどう言う定義なんだろう。
工場で働いている人が、髪の毛がベルトコンベアに挟まる危険があるので結ぶか巻き込まれづらい髪型をするか、帽子などに仕舞い込む必要がある、と言うのなら分かる。この状況下で髪型に関するルールを守らないと、命に関わるレベルで危険だからだ。
しかし、この校則は分からない。規定の中に当てはめることに躍起になって、本来何故この校則があるのか、それは時代に沿ったものなのか、と言う話がされないのも残念だった。
何より、他人の見た目にどうこう言う人間が多過ぎてうんざりする。
私が刈り上がっていようとも、男子高校生がツーブロックだろうとも、法律に反しているわけではないし、他人の人生とは全く関係ない。
他人の見た目にケチをつけたり、文句を言う人間が多過ぎると思う。
「太ったね」とかもそうだ。「男らしくないね」「もっと女っぽい格好すれば」「肌の色が違う」こんな言葉達、ぜーんぶ、言わなくて良いことだ。
もしそれを言いたくなるような気持ちになるなら、それはどうしてなのかを考えて欲しい。
言われた側は、傷つくけれど、傷つく必要は一切ないので、言い返すなり、美味しいものを食べて忘れるなりしてください。心ないことを言われた人が、減りますように。

 

ちなみに今、1週間ほど経ったが、この髪型は驚くほど快適。
ヨガをする時、寝転がるポーズ以外は結んで出来る。
腹筋を鍛える時、終わると襟足がびしょびしょになっていたのがタオルで拭くだけで解決する。
結ばなくてもそこまで邪魔ではないので、何もしなくても良い。
ドライヤーをかける時間も短縮された。大変に良いことづくめで、私の頭はとても軽い。

 

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左側に髪の毛を寄せているが、この下も全て刈り上がっている。

ちなみに、このドピンクのTシャツは、ランクヘッドのライブTシャツです。
うしおととらのテーマソングとかやってるから、ついでに聞いてって欲しい。

 


LUNKHEAD「決戦前夜」(ショートver.)

 

思いのコーティング(最近のお祝いの話)

今週のお題「お父さん」

 

父の日や母の日、あと結婚記念日や誕生日など、両親に関するお祝いごとは、最近めっきり食べ物が多い。
それもこれも私の手に届く範囲の物だと、特に父は既に手に入れていることの方が多い。
思い立ったら即Amazonの男なので、毎日のように我が家には宅配物が届く(配達してくださる皆様、本当にありがとうございます)
そのため、何かリクエストがない限りは、下手に狙った物品よりも食べ物もしくは酒になっている。食いしん坊とグルメの合いの子みたいな父親なので、そこまで酷いものでない限りはこれが一番喜んでくれる。

さて、そんな訳で今年の父の日はいつも行く洋菓子店のケーキにした。
もう我が家ではすっかりこれが定番で、何か祝い事があれば全てこの店のケーキで祝われる。いくら他の美味しいと評判の店のケーキを買ってきて食べても、舌が完全にその店に調教されているため、「やっぱりいつものあの店がいいね」と言う感想になってしまうからだ。結局1週間後に、もう一回例の店のケーキを買い直したりする。そのため完全に常連と化している気がする。最近は推しの誕生日など理由をかこつけて、ホールでないにしろピースのケーキやシュークリームを買ったりしている。
私は友人の集まりにもこのケーキを持って行ったり、手土産にここの焼き菓子を配ったりするので友人なら食べたことがあるかもしれない。

 

しかし、既に我が家の父の日のお祝いは終わった。何故なら、全員が先週の14日を父の日だと勘違いしていたからである。そして最近はケーキへの欲望が勝ってしまい、食べ終わってから「あっ、写真撮っとけば良かった…」とぼやくのだった。なので最近もそこそこに食べていた筈の写真が全然ない。
そんな感じで既に終わってしまった父の日だが、正直またケーキが食べたいので、明日も買いに行きたいのだった。

父は「健康に気を遣ってダイエットして長生きするより、好きなものを好きなだけ食べて死ぬ」と言ってるので、その通りにしてほしい。今の所糖尿病も高血圧もないのでそのまま楽しく生きしてほしい。所で明日もケーキ食べませんか?


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 これは先週食べたものではないけれど、同じケーキ屋さんで買ったもの。最近はホールケーキの種類が減っているので、各々が好きそうなものを好き勝手に注文する。たまに喧嘩する。生クリームとタルト生地が絶品なんですよ……

もったいないおばけと格闘中

暫く時間があるので、家の中のものを減らしたいと思った。
断捨離というほどの立派な思想は持ち合わせていない。私はヨガも嗜むが運動法の一種として捉えているので、本気でヨガという思想に取り組んでいる方には不真面目かもしれないが、そこまで賛同できないことも多いので…
しかし、部屋のキャパシティに対して、とにかく物が多いということは痛感している。
そして、それに対して「片付いてない」とモヤモヤしていることも。
いわゆる脱いだものを放りっぱなしとか食べた後のものを残しているとかそういうタイプの汚さではないのだけれど、なんとなく雑然としている部分が多い。
しまい方も悪くないことが多い。
衣服の収納でよく見る「立ててしまえ」とか物心ついた頃からやっているので収納方法にこれ以上のコツが見出せない。なので溢れている物の量を減らすしか選択肢がないのだ。

 

そういう訳で減らしたいのだが、いまいち「もったいないおばけ」が邪魔をする。


「それまだ使えるのにね」

「役に立たないわけじゃないし」

「今あるものを使って減っていったら使えるよ」


などという声がもうさっぱり捨ててやろうという私の行動を妨げる。

基本的にストックがないと怯えるタイプなのが、これらの内なる声を補強しているとは分かっている。理性では分かっている。
私が本当になくなって困るものは処方箋なので、それ以外なら殆どのものはどうにかなるとは思うのだが、どうにもこうも安心出来ないのだ。

これは普段荷物が多いのも、この有事に備えたいという心配から発生している。
荷物の少ない人が羨ましいが、あれは心身共に健康じゃないと出来ないと思っている。

 

そんな調子で地味にダメージを自分に与え続けている。

私が取るべき手段は二つある。

一つは「ええいままよ!未練や不安ごと全て捨てるのじゃ!」とドカドカ今使ってないものなどを全て捨てること。多分すごくスッキリするし、恐らく罪悪感は長続きしない。人間、忘れる生き物だしな。それどころか「あの時思い切って色々捨てて良かった」とまで思うかもしれない。

もう一つは「いいじゃん荷物が多くても死なないし。なんなら今の状況だと買い物もままならないんだからそのままでいよう」と開き直ること。諸事情により家に人を呼べないので、家族のスペースさえ侵さなければ別に問題はないのである。

ここんとこ家にいることが多いのと、ごちゃごちゃしたものが目について勉強したりするスペースをうまく作れないので、片付けている人を参考にしようとネサフした結果自分の体のサイズに合った机と椅子が欲しくなったのとでしっちゃかめっちゃかになっている。

 

私もオタクなので、こんまり導師の教えはあまり響かない。
全部ときめくし手放したらもう二度と手に入らない物が多過ぎて、ふんぎりが全くつかない。
Netflixの番組を観るのは大好きなんですが。

www.netflix.com

あれ早くシーズン更新して欲しい。
別にこんまりさんが色々売り出し始めても特に買わないのでSparkle Joyさせてくれよ!

 

最近読んでちょっと響いたのが池田暁子さんのこのコミックエッセイ集。

思考回路がかなり似ているので参考になりそうな部分がちょっと多かった。
何かあるとフリーズしてどうでも良くなってそのまま別のことやり出すとか…
これが普通なのか、それともある一定の人だけにしか起こらないことなのかが分からないなと思いながら生きている…… 

 

必要なものがスグに! とり出せる整理術!

必要なものがスグに! とり出せる整理術!

 

 

あともう一つ私的にすごく苦痛なのが、「ただ捨てるのはもったいない」という思考。
売ったら多少はお金になるのでは?と思ってしまうので、古本など宅配買取をしている所へ送ろう、と思うものの、どこに送ったら一番いいかみたいなことを延々と考えて結局様々なものが入っている箱は部屋にずっといる…みたいな状況がずっと続いている。

メルカリなどのフリマサイトに出しても、結局私の手元からすぐに全部がいなくなるわけではないと気づいてしまって、出品する意欲が失せている。
仕事だと発想なんか毎日のようにやっていたのに、私事になった途端に出来なくなるのは何故だろう。まあヤマトと法人契約してないからです…

そんなこんなで片付けは全く進んでいないのであった。
友人と通話してると「また片付けしてるの?」と言われることが多いのだけれど、片付けても片付けてもも物は移動し、そして私はふんぎりがつかないままである。嗚呼。

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家でもまだ片付いている方のスペース。

映画のパンフレットでギチギチになっている。


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一方、全然片付いてない方のスペース。

全部映画のポスター。一度も開けてないままのものがかなりあるし、ポスターの中に更にポスターが入っている……


退職しました

私的には大したことなんだけれど、巷で見れば大したことではないんだけとも、せっかくはてなブログ持ってるしな、という訳で退職エントリを書く。


1年8ヶ月働いた会社を退職した。
退職したと言えば聞こえはいいのだが、私は派遣社員だった。そして契約を次はしないと言われたのだった。要は派遣切りだ。
理由は産休の人が帰ってくるから…ということだったのだが、産休の人がしていた仕事と私の仕事はぶっちゃけそんなにかぶってはいない。私は事務系だったけど、今後はその人が行うので、ということだった。
正直なんで、と思った。指定された業務は勿論、以外のことも多くこなしていたし、自分で言うのもなんだが割と重宝がられていたとは思う。いない人の代わりをそれこそかなりやっていた時期もあった。


しかし、冷静な頭では仕方ないだろうなというのも分かっていた。covid-19の影響は年明けからかなり受けていた。
海外との連携が多かった会社なので、受ける仕事の量がガクッと減っていたのには私も気づいていた。
その証拠に、私以外の派遣の人も同じような状況になっている。急に契約ストップ。その人のことを案じつつ、ちょっとだけ、私と同じような状況の人がいて安心してしまった。辛い目に遭ってるのは私だけじゃない。
今いる人も危ないとちらりと聞いた。もしかしたら最悪、未来には会社ごとなくなっているかもしれない。全然そんなことは分からないけれど。


3月半ばからとても辛かった。急なことでショックだったのもあるし、ガタガタと社内の環境が変わっていった。
4月末まで、と言われてからすぐにリモートワークに切り替わった。
社員は全員自宅勤務になった。私を除いて。
どうしてもシステム上の問題で、私はリモートワーク出来ないと言われた。出勤するか自宅待機かを相談された。出勤を選んだ。殆ど人がいないオフィスは、実のところそれはそれで居心地は良かったけれども、社内で自分だけが感染リスクが高い状態にいるのが理不尽に思えて仕方なかった。まあストレスだった。私の仕事自体は、リモートワークも可能だったのに。
毎日電車に乗る前、出来るだけ人が少ないようにと祈っていた。出来るだけ出なくていい人は家にいますようにと。わがままだな。
正直今、とりあえずは暫く電車で通勤しなくて済むことに一番ホッとしている。

4月の後半は、毎日人とお別れの挨拶を繰り返していた。皆来るのは今日で最後だと。多分最後を2週間くらい繰り返して、誰に挨拶して誰に結局会えなかったか分からなくなってしまった。


シットコムの舞台になりそうな小さな会社だった。
今までいた会社の中で一番規模が小さかった。
お陰で直接一緒に仕事で関わらない人とも全員と面識があったし、よく話もした。
飲み会が全然なくて本当に楽だった。
世代が偏ってて、だからこそ干渉してくるような人がいなくて心地よかった。
自分の仕事は正直他の人でも出来る仕事だったが、楽しく過ごせたのは間違いない。


最終日だった今日、相変わらず人の少ないオフィスで、社長から小さな花束を頂いた。
実のところ挨拶だけでおわりだと思ってたので意外だった。
何度も「縁があればまた一緒に」と繰り返していて、やっぱり重宝されてたかなと傲りそうになった。
いやでもこの会社で派遣に花束送るの見たことない正直。
戻りたいかと言われると「ケッ、この時期に放り出しといて何調子いいこと言ってんだよ」という気持ちの方が強いのだけれど、もっと良い待遇になるなら考えますねという気持ちもある。
とにかく過ごしやすかった…風通しは良かったと思う。
困ったことは相談しやすかったし。サクサク解決することの方が多かった。


しかし戻りたいというよりはもっと色々やってみたいの気持ちが今は強いので、ちょっと休んだら何かしら挑戦してみたい。
体壊してガタガタになった後、ぼそぼそ時短なら働ける…と思って派遣で働き始めたけど、その当時に比べれば随分元気になった。
とりあえず前向きな気持ちにちょっとはなれたかな、という今の正直な気持ちを書いておきかたかった。
健康に仕事がしたい。
とりあえず体調崩さないのと、政権批判を強化します。
そして暫く外に出ないと思ったのでとりあえず献血に行って4月はおしまい。

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「なんとかなる」では終われない(私と英語)

気づいたら傍にいた。
けれど、今のところ仲良くなれていない。


これが今の私と英語の距離感だ。
先月推しの舞台を観に海外旅行に出かけたが、内容をすべて理解している…とはとてもじゃないが言えない。日本語で書かれた戯曲を予習として読み、後は微かな英語を勉強した遺産をフル起動させて、今がどのシーンで何の台詞か推測して観ているだけだ。
それって勿体ないのでは、と言われればぐうの音も出ない。
そもそもしょっちゅう海外に行っていると思われているが、実際はそんなことないし、そして簡単な会話も正直ままならない。
それでも「なんとかなる」で今まで生きてきてしまった。


このなんとかなる、は私と英語の長きに渡る触れ合いの中で生まれてしまったものだ。
振り返ってみると、英会話教室はいくつか通っていたが、どれも違うスタイルだった。

一番最初は友達の家に来たネイティブの先生と遊んでいたことで、授業のようなことはしていなかった。
親たちが英会話教室を自主的に開いていて、子どもたちはそのついでだったようだ。
その先生が引っ越すだかで来なくなってしまった。
しかし折角英語に触れたのだから、と家から遠いフィジー人の先生が開く英会話教室に通い始めた。
小学生になるかならないかで、この頃も何をしていたかあまり覚えていない。挨拶、挨拶、挨拶くらい。
あっ急に思い出したんだがI'm fineって毎週言ってたけど他のレパートリーなんざろくに習わなかったぞ。I'm fine or tiredの二択だった。

この時、教室の中では本名ではなくてEnglish Nameで名乗り、その名前で呼ばれていた。恐らくキャサリンだったと思う。あまり好きじゃなかったが、SIX THE MUSICALを体験した今、とても好きな名前になった*1。約20年越しの和解である。


引っ越してからはYMCAに通い始めた。ネイティブの先生と日本人の先生の二人から習うようになっていたけれど、これがあんまりよくなかったと思う。特にネイティブの先生が行う授業でだ。
当然ながら、授業に日本語は使わない。何人かの子たちと一緒に受けていたけれど、私はとっくに理解していることを何度も何度も繰り返しているので暇だなあと思ってばかりだった。
中には返事に詰まったり何も喋らない子がいる。答えるまでに物凄くヒントをもらい、ほぼ先生が答えになるような例文を言うとそれをやっと復唱するレベルの子が一緒にいた。その時間や沈黙が嫌いで仕方なかった。逆の立場になることを考えてない子供の残酷さである。
そういう子もまた親に通わされているだけだったりするので、どんどん英語が嫌いになるだけだろうなと思っていた。

また、小学生の時点で英語しか通じない環境に身を突っ込まれた結果「辞書とボディランゲージがあれば生きていける」という間違った悟りを開いてしまった。今だから言えるが、それは悟りではない。


そんな訳で中学生の時には他の子とのレベルが顕著だったので、あまりにも身に着けられることがなさすぎて、初めてやめたいと言った。その主張は受け入れられた。YMCA側が中学生レベルの授業に対応できていないのもあった。
ただ、辞めるまでの投資のお陰で、中学校まで英語は得意だった。何もしなくても中二くらいまでは余裕でテストで高得点が取れた。
しかも、中2で受験の内申に有利になるからと英検準2級を受けたら受かってしまった。
いやー英語できちゃうなーって思ってた。
受験前には詰め込みで英語や他の教科を勉強して、希望の高校に受かった。


しかし、高校に入ってからは下落の一途を辿る。中学の遺産だけでやっていける筈もなかったり授業は全然分からなくなり、成績は落ちに落ち、英語に触れる機会は激減した。
なんとか大学は受かったものの、必修の英語があまりに緩くて参加者も少なく、私はその中でも受けている方ではあったが、殆ど出席で点数を稼いでいたようなものだった。


大学に入ってから行動範囲がぐんと広がり、それに伴って映画、特に洋画を観るようになった。
しかしここで英語もう少し勉強しよう!となれば良かったけれど、そうはならなかった。
映画や配信を沢山観ても、新しく覚える単語といえば、日常で使いこなせないような固有名詞か、スラングか、ドラァグクイーン用語のどれかだった。(Tesseract*2なんてアベンジャーズの話以外でいつ使うタイミングあります?)
ぼんやり単語は聞き取れる。が、具体的に何言ってるかは正確には分からない。
その結果、映像と聞き取れた単語で推測するのだけは異常に得意になってしまった。
そして今に至る。


いや、至る前に何度も勉強しようと取り組んだことはあった。
受験勉強の時に使ったDUO3.0を一周してみようとか(こういう単語帳を一周出来たことがない)、English Grammar in Useを買ってみたりとか(ほぼ開いてませんね?)、友達と短い記事を精読し合おうとか(これはいつか復活させたいと思ってるんだけれど、教授陣の負担が大きいのでなんとかしたいところである)……しかしどれも長続きしなかった。
数年に一回行くか行かないかの旅行のためだけには勉強出来ない。出来なかった。


いや、しかし、いい加減にそろそろ、この状況を脱したい。
海外にちょっと旅行した先でなんとかなっているのは、相手の優しさと汲み取る力の高さに頼っているだけだ。
それは相手に迷惑をかけているし、自分の中に感じるもどかしさはこのままだと一生消えない。
言葉が詰まって何も出てこなくなる瞬間や、言いたいことはあってもうまく伝えられない気持ちの悪さは何度も体験している。
これは何か優しくされて嬉しかった、みたいなことから今の現状に怒っていること、自分が置かれている状況を説明出来るかどうかみたいなことまで多岐に渡る。
この気持ち悪さを解消する機会はいくらでもあったが、
もう少しだけ相手に伝えられることを増やしたい。
また、今の状況で情報へのアクセス出来る道具は多い方がいいと、毎日思い知らされている。
それは英語に限らず他の言語でもそうなのだが、私に一番近いのは英語だ。
好きな英語作品は数えきれないし、一番好きな俳優は英語を話す人だ。


ibara810.hatenablog.com


なのでこの記事を持って、英語にもっと取り組み、触れることを宣言します。
すぐ投げ出す性格なのはよーーーく分かっているので、記事にして上げることで後に引けない状況を作ってみる。
書いたこと、たまに反応をもらえるのだけど、「あれどうしたの?」と聞かれた時にまた止まっちゃって…と言わないように、努力していきたいと思います。
好きな人と滞りなく話したいし、目の前の相手が何を言ってるのか聞き取りたいし、突如として配信された海外の舞台を楽しく観たいし、刻々と変わっていく世界の情報をかき集めたいし、旅先で会った人と世間話がしたい!


なんだ、ちょっとこんなにやりたいことが沢山思いつくじゃん。
やらない選択肢なんてもうない!
なんとかなるだけはやめる!

と、自分を鼓舞して終わります。


とりあえず取り組みの一環としてトーキングマラソンもお試しで始めたので、こちらの使用感なども記事に出来たらいいな。



と、いう記事を書いてたら結構そんなこと言ってる場合ではない状況になってしまいました……
新型コロナウイルスに感染してしまった方々、また、これの影響を被った全ての方々へお見舞い申し上げます。私も影響を被った一人です。
この状況が早く落ち着くことを心から願っています。
というか、まじで、どうにかなってくれ……皆、まずは予防として手を洗おう。

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大好きなロンドンの劇場、The Old Vic theatre.
ロンドンで一番最初に閉鎖してしまった。公演中だったのに。
絶対また来るからね。


アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

*1:SIXには6人の王妃が登場するが、半分はキャサリンである。綴りはちょっと違う

*2:正八胞体。MCUシリーズで出てくる重要アイテムの名前です

出かけまくり

2月はブログを書こうと思っていた時期が私にもありました。
月に二度も旅行すると他何も出来ませんね!
来月の私に期待。

これは友人の披露宴の高砂
素晴らしい式だったのでこの話もいつか。
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